川口 潤 『THE COLLECTORS〜さらば青春の新宿JAM〜』監督 × 梅田 航 『SOUNDS LIKE SHIT:the story of Hi-STANDARD』監督

WRENCHのMV作りで仕事として関わることに

──お2人の出会いは、川口さんがスペースシャワーTV/セップ在籍時、梅田さんがWRENCHのマネージャーだった頃ですか。

川口:知り合ったのは梅ちゃんがマネージャーになる前ですね。

梅田:前だけど、ちゃんと話したり付き合いができたのはマネージャーになってからじゃないかな?

川口:いや、梅ちゃんがマネージャーになる前に写真を撮ってた頃から僕は知ってたよ。「今度WRENCHのマネージャーになるんですよ」みたいな話をした記憶があるから。

梅田:ああ、そうかもしれない。マネージャーをやる前はフリーのカメラマンをやってたんですけど、食えなかったのでバイトをしてたんです。ZKレコードのI氏と出会って身の上話をしていたら「ウチで働きながら写真をやればいいじゃん」と言われて、体良く騙されて(笑)。気がついたらWRENCHのマネージャーになっていたんです。

──川口さんはWRENCHのMVを何作か手がけていましたよね。

川口:そうですね。最初はZKから出たライブDVDを手伝いました。もう時効だから話しちゃいますけど、僕はセップで働きながらカウパァズとWRENCHのライブを撮影する内職をしてたんです。スペシャの番組でも放送したんですけど、その素材をフルで編集してVHSにしたんですね。カウパァズは『RUST DAYS』、WRENCHは『LIVE ON EARTH』という作品なんですけど。僕はもともとニューキー・パイクスのファンで、彼らの解散ライブの映像でテコ入れをしてほしいとI氏にお願いされたんですよ。いま思えば当時のZKはそこそこ儲かってたと思うんですけど、I氏には小遣い程度で操られて内職を請け負ったんです。その流れでカウパァズのMVを手がけることになって、それが僕にとって初めてのMV作りだったんですよ。

梅田:最近そのカウパァズのMVを見直す機会があって、すごく格好いいなと思ったんだけど、あれは川口さんが監督だったんだ?

川口:うん。今回の『さらば青春の新宿JAM』のプロデューサーをやってるフジパシフィックミュージックの大塚(涼大)さんに「あれは川口さんの仕事だったんですね」と言われたんだけど。

──両者がちゃんとした仕事で関わるようになったのはWRENCHからですか。

梅田:そうですね。僕がマネージャーになったのはちょうどWRENCHがメジャーに進出した頃で、売り出していく上でMVの制作を誰に頼もうかという話になって、ここはやっぱり川口さんがいいってことで、一緒に富士山のほうまで行って撮影して。

川口:1本目のMVは僕じゃなかったんですよ。当時はすでにスペシャで『MEGALOMANIACS』という音楽番組を制作してた頃で、自分もWRENCHのMVを撮りたいとビクターの人にアピールしたんですね。「僕のほうが俄然格好良く撮れますよ!」くらいのことを言ったんだと思いますけど(笑)。ちょうどセップから独立するのを決めた頃にWRENCHのMVの話をもらったんですよね。

──当時のお互いの印象は覚えていますか。

川口:梅ちゃんはカメラマンだった頃の印象が強くて、「エッ、マネージャーになっちゃうの!?」って驚いた記憶があるんですよ。わけがわかんないなと思って。

梅田:最初はずっとそんなふうに言われてましたね。僕自身、なんでマネージャーなんてやるんだろう!? ってわけがわかりませんでしたけど(笑)。どんな仕事をすればいいのかも全然わからなかったし。

──梅田さんがマネージャーをやめてカメラマンに復帰したのはどんな理由からだったんですか。

梅田:マネージャーをやりたくてやってたわけじゃなかったし、音楽業界自体もレーベルとかが面白そうだなと漠然と興味があって入っただけでしたからね。もちろんWRENCHのメンバーのことは尊敬してたし、大好きだったんですけど、やっぱりまた写真を撮りたいという気持ちが高まってきたんです。マネージャーの仕事を5、6年やったところで自分が本当にやりたいことをそろそろやりたいと思ったんですよ。

川口:梅ちゃんの写真をちゃんと見るようになったのはマネージャーをやめた後で、独特の現場感と言うか、梅ちゃんにしか撮れない被写体との距離感とか、確固たるものがあるなと思いましたね。ライブハウスの現場でしょっちゅう会ってたし、写真展があれば必ず行ってたし。後年、アメリカにも行ってたよね?

梅田:だいぶ後ですけどね。語学留学という体で。

川口:そういういろんなことがあって、今こうして同じ立場の仕事をしているのは感慨深いですね。

精鋭部隊で臨んだコレクターズのライブ撮影

──梅田さんは川口さんのさまざまな映像作品をご覧になってどんな思いを抱いていたんですか。

梅田:基本的にセップの頃から変わってないですよね。もちろん進化はしてるけど、いい意味で変わってない。川口さんにしか撮れない画だなといつも思うし、ブッチャーズの『kocorono』(2011年)は特に印象深いです。冒頭の吹雪の画とかホントに狂ってるなと思いました(笑)。フロントガラスに吹きつける雪を車の中で延々と撮ってるわけじゃないですか。

川口:梅ちゃんは僕が映画監督としてデビューすることになった『77BOADRUM』(2008年)も観に来てくれたよね。77席しかない劇場で、通路に座って観てくれたのを覚えてる。

梅田:席がなかったんですよね。たしか公開初日とかで。

──『さらば青春の新宿JAM』には梅田さんも撮影に参加していますが、川口さんから直々にオファーがあったんですか。

梅田:たまに呼んでくれるんですよ。

川口:たまにじゃないよ、けっこう呼んでますよ。

──川口さんが監督を務めたスペシャのシリーズ番組『ニッポンのライブハウス』でも梅田さんが撮影クルーとして参加していましたよね。

川口:『ニッポンのライブハウス』もそうだし、ブルーハーブの『20YEARS, PASSION & RAIN』(2018年)でも梅ちゃんに来てもらったし、DIYでやらなきゃいけない時はまず梅ちゃんにお願いしてるんです。

梅田:バジェットが限られてる時はね(笑)。

──素朴な疑問なんですけど、写真を撮るのをメインにしている人が動画の撮影へスムーズに移行できるものなんですか。

梅田:最初は慣れるのに時間がかかりましたね。使ってるものは同じでも、考え方が違うので。写真はシャッターを一発切れば次の瞬間はファインダーを覗かなくてもいいし、次に撮るものを考えればいいけど、ムービーはそうはいかないんです。ずっとカメラを覗きながら構えてなくちゃいけないし、次の画までのあいだもずっと考え続けなきゃいけない。それが最初の頃はできなくて、一度撮ったらそのまま画を変えなかったんですよ。それで川口さんにすごい怒られて(笑)。

川口:怒った覚えはないけど、こうしたほうがいいとは言ったかな。

──写真が点なら動画は線ということですか。

梅田:そうですね。ムービーの仕事を始めたのは10年くらい前、GOMAさんがオーストラリアのバイロンベイでレコーディングをやることになって、そのついでにジャケ写やアー写も撮ろうってことでスチール係で呼ばれたんですよ。その時に使った一眼レフのカメラが動画も撮れたので、試しに撮ってみたら「なにこれ、すごい綺麗じゃん!」ってみんなにびっくりされたんです。動画を撮れる機能がまだ珍しかった頃だったので。そのついでに撮った動画がGOMAさんやスタッフに気に入ってもらえて使ってくれて、それから徐々にムービーの仕事をするようになったんです。

川口:その前からムービーもやってなかったっけ?

梅田:仕事としてはやってないですね。もともと僕は高校の時に映画を作るサークルにいたんですよ。本当は映画を作りたかったんだけど、日芸の映画学科と写真学科を受けて、映画学科に落ちて写真学科に受かったので写真を撮るようになったんです。

川口:いま思い出したけど、『さらば青春の新宿JAM』で梅ちゃんに撮影をお願いしたのは、『ニッポンのライブハウス』シリーズを梅ちゃんと何本かやって、その感覚がほしかったのもありますね。梅ちゃんならライブハウスの質感や匂いをよくわかってるし、だからいの一番に声をかけたんです。「12月24日空いてる?」って。ライブ以外でも新宿JAMの外観や内装のディテールも撮るようにお願いして、実際に本編に使ってますしね。

──梅田さんは撮影を手伝った『さらば青春の新宿JAM』をご覧になっていかがでしたか。

梅田:単純にすごく面白かったですね。コレクターズは有名な曲を聴いたことがある程度だったんですけど、新宿JAMでのライブがすごい良かったんですよ。撮ってて楽しくて、自分でもけっこういい画が撮れたと思ってるんです。そういう画を川口さんがだいたい使ってくれてて、ここは使うよねという感覚が近いんじゃないかなと思って。

──キャパ200人程度の小さなライブハウスでよくあれだけ多角的な画を撮れたなと思ったのですが。

川口:いやぁ、多角性ゼロだったと思いますけどね。

梅田:多角性があるように見えるのは、川口さんの画数〈えかず〉が多いからだと思うんですよ。レンズもいろいろ変えてましたからね。川口さんの画にはいつも感じるんですけど、同じ位置から撮っててもよくこんなにいろんな画が撮れるなって思うんです。そこはいつも勉強になりますね。

──新宿JAMでのライブは何人編成で撮影に臨んだんですか。

川口:全部で6人です。定点を入れるとカメラは8台。ステージ前は僕と梅ちゃん、ステージ袖にブルーハーブなどのスチールを撮影しているSUSIEさん、ドラムのほうにコレクターズの映像にここ数年ずっと関わってる山辺真美さん、客中にオールディックフォギーのMVを一緒に作ったカメラマンでコレクターズのアーティスト写真とかも撮影している後藤倫人さん、決め手は去年『MOTHER FUCKER』で監督デビューを果たした大石規湖さんですね。梅ちゃんも大石さんもライブハウスの距離感を熟知してるので、安心して撮影をお任せできました。

ハイスタの3人が語る以上の証言は他にない

──今のコレクターズと30年前のコレクターズのライブ映像が巧みに織り交ぜられていて、編集がとても滑らかなので時空を自由に行き来できると言うか、タイムマシーンに乗って変幻自在に時間旅行するような感覚を味わえますね。

梅田:あの編集は鮮やかでしたね。

川口:今回の映画はタイムマシーンがテーマですからね。それは勝手に僕が見いだしたテーマなんですけど、そう言えば「僕の時間機械(タイムマシーン)」という曲をライブでやってたなと思って。撮ってる最中は何も考えてなかったし、全部結果論なんですけどね。

──コレクターズの30年の歴史、37年間親しまれてきた新宿JAMの閉店、変わりゆく新宿の街並み、30年以上に及ぶ東京モッズ・シーンの歴史と、『さらば青春の新宿JAM』には語るべきテーマがいくつもありますよね。それらを一本の作品にまとめるのは至難のわざだったのでは?

川口:特に何も考えてなかったですね。加藤(ひさし)さんには「新宿JAMが終わっていく話にしたい」と最初から言われていて、昔のJAMのライブ映像もあるし、東京モッズのことも喋りたいし……と聞いて、これは面白い作品になりそうだとピンときていたんです。僕としてはその話に乗っただけですね。最初にコレクターズの映画を撮るという話をいただいた時、何をどう撮ればいいんだろうと思ったんですよ。と言うのも、コレクターズの歴史を追ったドキュメンタリーDVDはすでにあったので、それをもっと濃くしたものにすればいいのか? とか思って。ひとまずフラットな状態でメンバーと会うことにして、その時、加藤さんに「川口君の映画をいくつか観たんだけど、俺たちのテイストとは違うんだよね」って言われたんですよね。「俺たちの映画はいきなり吹雪で始まるとかはないからさ」って(笑)。お前のテイストではやらせないぞ感が最初の打ち合わせから頑なにあって、これはすごい面白い人たちだなと僕は思ったんですよ。

──自分の意見を忌憚なく言うのが面白かったと。

川口:そうなんです。ほぼ加藤さんしか喋ってなかったんですけどね。映画の方向性の話を一通り話し終えて、最後に(古市)コータローさんが「ところで監督、冨士夫さんの映画(『山口冨士夫 / 皆殺しのバラード』、2014年・未ソフト化)ってどうやって観れるんですか?」と唐突に訊いてきたんです。そういうキャラの違いも面白かったですね。

──ヴェスパの集団によるスクーター・ランもスクリーン映えする迫力のあるシーンですが、あれも加藤さんのアイディアだったんですか。

川口:そうですね。僕はモッズのことを何も知らなかったし、撮影は加藤さんのやりたいことにできる限り応えました。ドキュメンタリーの作り方にはいろんなケースがありますけど、今回はわりと受け身で作業を進めていきましたね。主人公が非常に能力ある人たちなので、それに乗っかって進めたほうがいいと思って。

──スクーター・ランの撮影は梅田さんも参加したんですか。

梅田:いや、僕は行ってないです。

川口:声はかけたんだけど、梅ちゃんは何かの都合で来れなかったんだよね。ものすごく寒い日に撮影したんですけど、撮ってて面白かったですよ。ヴェスパの集団は渋公の前から青山通りへ移動して、なぜか東京タワーのほうをまわってから新宿JAMにたどり着くというコースだったんです。『VICE』でそういうスクーター・ランの番組があって、コースや見せ方が決まってるらしいんですよね。

──一方、『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』ですが、川口さんはご覧になっていかがでした?

川口:MA前のほぼ完成形を観ましたけど、すごく面白かったですよ。僕は恒さん(恒岡章)が下北の花屋でバイトしてた頃から知ってたし、バンドがどんどん大きくなっていくのを間近で目の当たりにしたんです。だから映像を観ながらいろんな思いが駆け巡りましたね。

──まるでハイスタの楽曲のようにファストでラウドでショートな勢いでメンバー3人の証言が手際良く簡潔にまとめられていて、1991年の結成から先日の『AIR JAM 2018』まで27年間にわたるハイスタの歴史が描かれていますが、証言を3人だけにしたのはバンド側の意向だったんですか。

梅田:僕が最初からそうしようと考えてたんです。それもいろんな理由があるんですけど、結局、3人が自分たちのことを語る以上の証言は他にないだろうと思って。3人揃ってではないにせよ、ああやって本人たちがハイスタの歴史を語るまとまった映像は今までなかったし、3人の証言を聞くだけでも充分面白いだろうと思ったんですよ。

──映画の企画は梅田さんがバンドに持ち込んだんですか。

梅田:気がついたらそういう流れに(笑)。

川口:W氏(Hi-STANDARDマネージャー)が言い出したんでしょ?

梅田:W氏に乗せられたところはありますね。W氏とは昔からむちゃくちゃ仲がいいんですよ。歳もタメだし、家も近所で。それでいろいろと話を聞いてて、2011年にハイスタが再始動した頃からずっと「ハイスタの映画を作りたい」と。

川口:そうだよね、それは聞いてた。僕には振ってくれなかったけどね(笑)。

梅田:それは、あまり暗い映画にはしたくないってやつですね(笑)。冒頭が吹雪のシーンから始まるみたいな(笑)。

川口:僕はその時にアーティストが置かれた状況を把握して作ってるつもりなんだけどね。2000年頃に僕が制作に関わったハイスタのドキュメンタリーが暗かったとW氏が言うんですけど、まずそれは僕がディレクターじゃなかったし、たしかに僕が中心になってインタビューもしたけど、僕じゃなくて当時のバンドが暗かったから結果的にそういう作りになったんですよ。『さらば青春の新宿JAM』はそういう僕の作風を実証する映画だと思いますけどね。

ハイスタの膨大なアーカイヴ映像から精選

──梅田さんが長編映画の監督を務めたのは今回が初なんですよね?

梅田:初めてですね。スペシャの番組を何本かやりましたけど、それもせいぜい30分の尺でしたから。ちなみに、僕が生まれて初めて撮ったフェスは豊洲でやった1998年の『AIR JAM』なんです。ハイスタを最初に撮ったのは1997年か。

──『SOUNDS LIKE SHIT』では川口さんが撮影したアーカイヴ映像も多く使われているそうですね。

川口:わりと映画の最初のほうから自分が撮った映像が使われてたのがわかりましたね。スペシャが提供した素材にはけっこう関わっていたし、覚えている映像もかなりあります。『AIR JAM』に至っては2012年以外は全部仕事で行ってますしね。映画で使われた1997年の『AIR JAM』も間違いなく僕が撮った素材もあったし、いろいろと感慨深かったですよ。それに、今年の『AIR JAM』も僕が撮った映像が使われてたし。あれはあえて僕のを選んでくれたんでしょ?(笑)

梅田:単純に川口さんの映像が一番良かったんですよ。今年の『AIR JAM』でメンバーがステージに出ていく場面はとにかくいい画にしたくて、何人かに頼んだんですよ。

川口:コンペみたいなものだよね(笑)。

梅田:そう、コンペに勝ち残ったのが川口さん(笑)。でもお世辞抜きで川口さんのが一番いい画だったんですよ。

川口:もうここでしか最高点を取れないみたいなポジショニングだったんだけど、恒さんと難波(章浩)さんのあいだがちょっと開いてて、思わずカメラを振りそうになったんですよ。そこをグッと堪えて。

梅田:そうそう。だから完璧だなと思って。だいたいパッとカメラを振っちゃうところを、川口さんはちゃんと恒さんを受けてましたからね。それはちゃんとわかってる人じゃないとできないんです。

──貴重なアーカイヴ映像が随所に挿入されているのが『SOUNDS LIKE SHIT』の魅力のひとつですが、膨大な映像の内容をすべて把握するだけでも気が遠くなるような作業ですよね。

梅田:だから川口さんにスクリプトを手伝ってもらったんですよ。

川口:1998年のアメリカ・ツアーの素材を梅ちゃんからまるっと渡されて、素材チェックが間に合わないから手伝ってほしいと頼まれたんですけど、これは絶対に使うべきだという映像があるじゃないですか。

──アーカイヴ映像はPIZZA OF DEATHからごっそり渡されたんですか。

梅田:miniDVテープとかいっぱい出てきたのを預かりました。それとメンバーが持ってたVHSの素材が20本くらいあって、全部合わせると結構な量になったんですよ。

川口:映画に出てくるULTRA BRAiNのスペシャの番組も、「こういう映像があるよ」とDVDにして梅ちゃんに渡したんです。あの番組は僕がディレクションして、当時は難波さんと接することが一番多かった時期なんですよ。難波さんが住んでた沖縄にも行ったことがあるし。

対象と距離を置くのか、相手の懐へ飛び込むのか

──『さらば青春の新宿JAM』も『SOUNDS LIKE SHIT』も作品の方向性や編集の仕方は全権を委ねられていたんですか。バンド側からこの場面はもう少しこんなふうにしてほしいと言われたようなことはありました?

川口:僕に関してはなかったですね。最初に提出した第1稿から基本的に変わってませんし。バンドの紹介場面でちょっとした装飾を施したいとか、そういうリクエストは何個か加藤さんからありましたけど。

梅田:僕もバンドからの注文はなかったですね。

──ハイスタの3人があれだけ饒舌に語っているのは、インタビューしているのが距離の近い梅田さんだからなんでしょうか。

梅田:僕とあと1人、インタビュアーがいたんです。

──インタビュアーは梅田さんではなかったんですか?

梅田:違います。2010年までPIZZA OF DEATHのスタッフだった阿刀“DA”大志にお願いしたんですよ。難波さんと健さんは大志がインタビューをやって、恒さんはW氏がインタビューしたんですけど、特に大志みたいな内部にいた人間が話を訊く安心感があったから素で喋ってくれたところはあったと思います。

──お2人とも、対象との距離感というのはどのように考えて撮影していましたか。あえて対象と距離を置くスタンスも、相手の懐へ飛び込むスタンスも、良い話を引き出す上でどちらも正解だとは思うのですが。

川口:ケース・バイ・ケースなんですよね。間合いをとることで本質を引き出せることもあると思うし、それでもあえて相手の懐へズブッと入り込む面白さもありますよね。どっちがいいって話ではないんですけどね。

梅田:僕としてはできるだけ距離を詰めてズブッと入りたかったので、大志にお願いしました。撮影期間中、ハイスタのリハもライブも取材もすべての場所に行ったんですよ。本来なら別に撮影をするわけじゃないから行かなくてもいいのに、距離を縮めたいというのもあって、必ずハイスタの現場に行ったんです。

──その行為が映像では見えないどこかに確実に反映されていますよね。

梅田:うん、それは絶対にありますね。

川口:いつもいれば信頼されるようになるしね。

梅田:たまに現場に立ち会えないと「今日はなんでいないんだ?」って思われるし。

──そもそも『SOUNDS LIKE SHIT』の企画意図とはどんなものだったんですか。

梅田:ハイスタのヒストリーをまとめたいのがまず最初にありました。それとメディアにあまり出てこなかったバンドだから、誤解されてる部分がけっこう多いと感じていて。活動休止の真実とか、なぜ確執が生まれたのかとか。あれだけの成功を収めたバンドだからいろんな見方があると思うんだけど、明らかに誤解されている部分は正したいなと思って。もちろんメンバー各自それぞれの言い分なり真実があって、そこで誰が良くて誰が悪いなんて単純な話じゃないよね、ってことをちゃんと見せたかったんです。

コレクターズのスタンスこそロックの本質

──完成した作品を観客にどう見られるのか、どう受け止められるのかは、編集中にどれくらい考えているものなんですか。

川口:こんなことを言われるかもしれないなとか、そういうのは一切考えませんが、自分も一観客として、客観性を持って作ってます。自分が納得できるラインをクリアできていればいいかな、という程度ですね。東京モッズはこだわりの人たちばかりだから、この作品に対していろいろと言われるかもしれないけど、こっちも3日でモッズになれるわけじゃないですから。加藤さんもそう簡単にモッズになれるわけじゃないと劇中で話してるし、実際そうだと思うんですよ。だから細部に詰め寄ることよりも、モッズを題材にしながらコレクターズの生き様みたいなものに焦点を当てたんです。僕に興味があるのはモッズ自体よりもモッズとして生きる加藤さんやコータローさんの生き様だったので。

梅田:僕も観る人のことはあまり考えませんでしたね。自分が格好いいと思う作品を出せばいいだろうと思ってたし、そもそもそれしかできないので。それに対して文句を言われるならしょうがねぇなと思うし(笑)。

──ドキュメンタリーを撮り終えたことでバンドの実像に迫れた部分はありますか。

川口:コレクターズには長く愛される理由がちゃんとあるんだなと思いました。それとやっぱり曲がすごくいいし、歌も演奏も格段に上手い。その強さは揺るぎなくありますよね。それに、苦労を苦労として見せようとしない。その潔さや格好良さがある。

──たとえば2003年に所属事務所が解散してマネジメント機能がなくなってしまって、バンドが路頭に迷うという有名なエピソードがありますが、その辺りはあえて外したんですか。

川口:そういう話はヒストリーDVDですでに語られていたので、自分は新宿JAMと東京モッズ・シーンをテーマに振り切ったんです。それこそがコレクターズの種火だし、それを発火点にして今もずっとバンドが燃え続けているのを見せたかった。それさえ見せられればバンドの歴史は端折れるとも思ったし。

──「別に新宿JAMが好きなわけじゃなかった」と言いながら、JAMが閉店することになれば律儀にライブをやる筋の通った姿勢、モッズであることの意地を貫き通す姿勢、どれだけ辛酸を舐めても音楽を続ける姿勢。そういうさまざまな要素がコレクターズが長く愛される理由なのかなと思いましたが。

川口:そうなんですよ。バンドが大きくなれば、良くも悪くもJAMみたいな場所からは離れていくものじゃないですか。本編では使わなかったんですけど、峯田(和伸)さんも実は同じようなことを話していたんですよ。ストリートから出て成功すると普通はマスに行ったっきりが多いけど、コレクターズはいつでもストリートに戻ってこられるって。それがゆえに爆発的なブレイクに至らないのかもしれませんけど、そんなコレクターズのスタンスこそがロックの本質なのかなと僕は思うんです。

──『SOUNDS LIKE SHIT』の「絶対無いと思ってた でも絶対じゃなかった」というキャッチコピーは、誰もが予想だにしなかったハイスタの復活を言い表す言葉としてこれ以上のものはありませんね。

梅田:数ある候補の中からみんなで選びました。誰しもがハイスタの復活はもう絶対にないなと思ったじゃないですか。「でも絶対じゃなかった」わけですよ。

川口:復活を果たして、新作も発表した今だからこそ語れるところはあるんだろうね。

梅田:そうそう。映画を観ればわかると思いますけど、今のハイスタが一番いい状態だからですよね。3人の関係性もそれぞれの人生的にも今が一番いいので。

精神に破綻をきたすほどの生真面目さ

──梅田さんは『SOUNDS LIKE SHIT』を作り終えて、ハイスタはなぜこれほどまでに愛されているのだと思いましたか。

梅田:やっぱり3人の生き様が音楽に出てるからじゃないですかね。爆発的な成功を収めて、その反動でどん底まで落ちて、紆余曲折を経て今また上り調子にあるという凄まじい人生じゃないですか。

川口:そこが愛されてるのかな?

梅田:まぁもちろん楽曲がいいからというのがありますよね。

川口:僕はそれに尽きると思うんだよ。結局ね。

梅田:3人のケミストリーで生まれる楽曲の良さ、アンサンブルの素晴らしさはバンドを好きになる絶対条件だけど、魅力はそれだけじゃないと思うんですよ。その奥に沼みたいに底なしのドロドロした部分もあるし、懐の深さもあるし、人間くささもある。ハイスタを好きな人たちはただ好きっていうレベルじゃなくて、人生そのものみたいに思ってるファンが多いですよね。それは自分の人生を投影できる深さや広さがハイスタの音楽にあるからだと思うんですよ。

川口:そうだよね。曲は嘘をつかないし。あと、3人とも音楽に対してすごく真面目なんだよね。普通、バンドの中にはいい加減な人が1人くらいはいるものだけど、ハイスタは3人ともあり得ないくらい真面目。精神に破綻をきたすくらい真剣に音楽のこと、バンドのことを考えてきたんだと思う。

梅田:すごいストイックですよね。3人とも。

川口:歌詞は英語だけど、真面目さや素直さがそのまま出てるよね。このあいだ『AIR JAM 2018』を撮っててもとにかく真面目な人たちなんだなと改めて思ったし、そこは僕もすごく共感できる部分なんです。

──梅田さんは初めて長編映画を撮り終えてどう感じましたか。

梅田:川口さんのことをより尊敬するようになりましたね(笑)。

川口:いやいや、そんなことないでしょ。

梅田:ずっとこんな大変な仕事を続けてきたんだなと思ったし、2時間くらいの長編を作り続ける熱量は尋常じゃないなと。川口さんは苦労を表に出さずに飄々と仕事をするのがすごいですよね。

川口:それは僕がモッズだからじゃない?(笑) まぁそれは冗談だけど、梅ちゃんがこうしてハイスタの映画を撮ったのも何かの巡り合わせだと思うよ。自分の意思とは関係のないところで撮らされることってあるんだよね。それが僕の場合はブッチャーズの『kocorono』だった。吉村(秀樹)さん亡き今、それはすごく思う。吉村さんの魂が周囲のいろんなものを巻き込んで、あのタイミングで僕に映画を撮らせたとしか思えない。梅ちゃんがハイスタの映画を撮ったのも何らかのタイミングだと思うな。

梅田:だからこそのタイミングだったんでしょうね。じゃないと、この映画は撮れなかったと思いますよ。

川口:MINORxU君が撮った健さんのドキュメンタリー映画(『横山健 ─疾風勁草編─』、2013年)の時は、健さんも復活したハイスタを今ほど肯定してなかったしね。ハイスタをやることに対してかなり葛藤していたし。その理由が何だったのかと言えば、新曲をやらなかったからというのが『SOUNDS LIKE SHIT』を観ればわかるんだよね。

梅田:本当にいいタイミングで撮り始めて、いいタイミングで作り終えることができたと思います。ここまで3年弱かかりましたけどね。その間にハイスタも新曲を作ることになって、バンドとしてさらに成長していく時期だったし、側でそれを見て記録できたのはいい経験でした。

今この瞬間を一生懸命楽しむほうがいいんじゃない?

──月並みですが、どんな人たちに今回の作品を観てほしいですか。

川口:コレクターズのファンや当時の東京モッズ・シーンにいた人たちはもちろんなんですけど、若い世代にもぜひ観てほしいです。こういう面白い時代があったと伝えたいのもあるけど、ロックをやるにはこれくらいの気概がないとダメなんだよっていうのを僕は伝えたい。意地や痩せ我慢でバンドをやり続けることが格好いいのか格好悪いのかわかりませんけどね。東京モッズ・シーンでコーツというバンドをやってた(甲本)ヒロトさんは「やりたくなければやめればいいんだよ」という言葉を残してるんですよね。たしかにイヤなことを続けていく必要はないし、それはそれで格好いいと思うけど、少なくともコレクターズは生半可じゃない気概で今もまだ足掻き続けている。『さらば青春の新宿JAM』はバンドのドキュメンタリー映画だけど、いろんな映画と比べても遜色のない作りと言うか、たとえば劇映画を観た後に何かを感じ取るのと同じように、観た人に何かを感じてもらえる作りになっていると思ってるので、いろんな人たちに観てほしいですね。

梅田:僕もいろんな人たちに観てほしいというのは3年前に撮り始めた時から思ってましたね。たとえばブラジル人やインドネシア人が観ても、音楽が好きであれば楽しめるものにしたいと最初から念頭に置いてました。海外の人が観て「なんだこのバンド! すげぇな!」と思ってもらえたら嬉しいし、今がどれだけ大変な状況でも明日になればいいことがあるのかもしれないと観た人が思ってくれたらいいなと思って。絶対無いこともあるかもしれないけど、もしかして明日はいいことが起こるかもしれないじゃないですか。まさかの復活を果たしたハイスタみたいなことが誰かの日常でも起こるかもしれないと僕は思ってるんです。

──20年前はZKレコードまわりをウロウロしていた2人が今や同時期に秀逸な音楽映画をそれぞれ発表するのだから、人生は何が起こるかわかりませんよね。

川口:僕は音楽を題材にした自分なりの映画を作りたいと昔から思ってたんです。でも、梅ちゃんはまさかの転進だったよね。

梅田:これも運命なのか、人の人生ってわからないよなって思いますね。自分でも意外な展開だけど、単純に面白いですよ。

川口:まぁ、僕もコレクターズの映画を撮ることになるとは思わなかったけどね。でもコレクターズにしてもハイスタにしても、音楽映画をどこまで一般層に浸透させられるかが課題ですよね。世界中でヒットした『極悪レミー』もすごく面白いドキュメンタリーだったけど、あれもやっぱり一般層にまでは届いてない気がするんです。普通の人にまで波及するとは僕も思わないし、音楽が好きじゃないと音楽映画を観ないのも理解してますが、音楽を好きな人は洋邦問わずいっぱいいるわけで。だから全方位の人たちに観てもらいたいんですよ。……ところで、梅ちゃんは『SOUNDS LIKE SHIT』を通じて何を一番伝えたかった? 僕もそれを訊かれたら困るんだけど(笑)。

梅田:「人生ってすごいよ!」ってことしかないかな。ハイスタの3人に限らず、僕らも含めてね。みんなそれぞれ多かれ少なかれ大変なことがあるけど、明日どうなるかなんて誰にもわからないし、とにかく今この瞬間を一生懸命楽しむほうがいいんじゃない? って言うか。そういう強いメッセージをハイスタは常に発してるし、今回の映画を通じて伝えたかったのはそこかなと思うんです。

川口:なるほどね。僕は『さらば青春の新宿JAM』を撮って監督として何を言いたかったのか、自分でもよくわからないんですよ。でもそのわからないってこと、説明のつかない何かが重要で、いろんな人がいろんな解釈で観てもらえればいいのかなと思うんですよね。

(Rooftop2018年11月号)

© 有限会社ルーフトップ