【世界から】アウシュビッツめぐる欧州音楽界の対立

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授賞式会場となったドイツ・ベルリンの「コンチェルトハウス」=中東生撮影

 10月14日、欧州のクラシック音楽界に新たな賞が生まれた。「オーパス・クラシック賞」だ。ちなみに、「オーパス」とはラテン語で「芸術作品」のこと。第1回の授賞式はドイツの首都ベルリンにあるコンサートホール「コンチェルトハウス」で行われ、その模様はドイツの公共テレビZDFで放映された。

▼ラッパーの受賞が発端

 実はこの賞は、ヨーロッパ版グラミー賞と言われた「エコー賞」を受け継ぐ形で生まれた。ある2人のラップ歌手がポップス部門で受賞したことが激しい反発を招いた結果、廃止に追い込まれたのだ。

 

 問題になったのは、ドイツ国内で人気のあるラッパー、コレガーとファリド・バンだ。彼らが昨年12月1日に発表したアルバム「JBG3(若く、凶暴で、外見のよい、の略)」内に「俺の体はアウシュビッツ収容者よりシェイプアップされている」という意味のセリフが出てくるため、エコー賞の2部門にノミネートされた時点で同収容所からの生還者で作る団体などが不快感を表明した。

 それでも今年4月のポップス部門授賞式で「ヒップホップ/アーバンナショナル賞」を授与されたため、反対派は抗議の声を強めた。

アウシュビッツ強制収容所から解放された収容者ら。同収容所は1945年1月27日に解放された=撮影時期不明(アウシュビッツ・ビルケナウ博物館提供・共同)

▼広がる反発

 多くの受賞者も反対の声を上げた。授賞式では「ロックナショナル賞」を授賞したロックバンド「ディ・トーテン・ホーゼン」のボーカル、カンピーノがスピーチ内で批判したことを受けて、コレガーとファリド・バンが受賞スピーチで応酬しようとしたところ、会場を埋め尽くした聴衆からブーイングがわき起こった。この結果、彼らは早々にスピーチを終わらせざるを得なくなった。

 騒動はここで終わらなかった。過去の受賞者がトロフィーを返還する事態にまで発展したのだ。

 ユダヤ系の指揮者、ダニエル・バレンボイムやピアニストのイゴール・レヴィットをはじめ、ルノー・カプソン(バイオリン)やクリスティアン・ティーレマン(指揮)も同調した。元防衛大臣の息子を持つ貴族のエーノッホ・ツーグーテンベルク(指揮)にいたっては、エコー賞返却から数カ月後に他界したので、大罪を犯した祖国に寄せた遺言のような印象すら与える。

 さらに、オーケストラも続いた。ベルリン国立歌劇場付属オーケストラの「シュターツカペレ・ベルリン」が同オーケストラの音楽総監督であるバレンボイムとともに賞を返却したほか、バイエルン放送交響楽団はプロフィルからエコー賞に関する記載を削除した。日本人受賞者にはバロック音楽を専門とするオーケストラと合唱団「バッハ・コレギウム・ジャパン」の創設者である指揮者の鈴木雅明がいるが、彼のプロフィルにも現在エコー賞の記述は見当たらない。

 ドイツのモニカ・グリュッタース文化メデイア担当大臣もエコー賞の決定に対する反対声明を出し、結果的にエコー賞は4月のうちに消滅した。2人のラッパーは抗議を不当としてメディアに宣戦布告したものの、6月にはアウシュヴィッツ協会の招待を受け収容所を見学した。このことは反省を意味するのであろう。

▼ラッパーの主張

 この事件を正当に分析するには、ラッパー界の主張も聞く必要がある。彼らは「今回の表現は言語道断」とした上で、原因を挙げている。まずは世代の差だ。ラップバトルのフリースタイルなどでは、ひどい言葉で相手を侮辱しても、勝負が決まったら握手する習慣が若い世代には根付いているとする。そして、ラップ界の中でも世代間の差が見受けられるという。また、ラッパーの生い立ちを知ると、何故そういうメッセージをラップに乗せて世に伝えたいのか理解できると主張する声もある。さらに言えば、皮肉や挑発、誇張、ショックなどを常とう手段にする、いわゆる「ギャングスタ」ラッパーが繰り出す人を怒らせるようなセリフを言葉通りに取ってはいけないとする。それは映画の情景を描くように、世界情勢を描き出すために使われているだけなのだという。

 ヒップホップ界には移民も多いので、戦後ドイツの反ナチ教育が浸透していないという事情もある。それゆえ、「回りの状況を感じ取ってうたっただけ」という彼らの説明は、社会全体が反ユダヤになびいているということを現しているのではないだろうか。 

 そのことを裏付けるような統計もある。例えば、ドイツにおいて反イスラエルの立場をとるコメントの数を調べたところ、この7年間で7.5%から36.2%に増えたという。

 そのような背景から音楽賞が消えたことを憂いたクラシック音楽業界が、急きょ設立したオーパス・クラシック賞は、司会も昨年のエコー賞と同じく、ドイツテレビの顔、トーマス・ゴッチャルクが担当し、式後のパーティーで見る顔もエコー賞の時とほとんど変わらない。だが、ショー的要素については自粛している印象を受けた。

 昨年の来日が記憶に新しいディアナ・ダムラウ(女性歌手部門)、高音の騎士ファン・ディエゴ・フローレス(男性歌手部門)が華であったが、個人的にはチェリストのシェク・カネ・メソンに目をさまさせられた気がした。バイオリンのリサ・バティアシュヴィリとの二重奏で、イタリア映画「ニューシネマパラダイス」のテーマを奏でたが、誇示しないのに心から響くチェロの正直な音に襟を正した。このような響きこそ世界を変えていくのではないか。

 日本人では「ベスト器楽奏者」賞の1人に御喜美江が選ばれた。アコーディオンでバッハの「平均律」を奏でるCDは、その音色が耳に慣れてくると、癒やしの周波数が出て来るような特別なアルバムだ。

 結果的にエコー賞は、ポピュリズムが勢力を伸ばしつつある欧州に一石を投じて消えた。代わるオーパス・クラシック賞は、民族や宗教の隔たりのない世界を構築する役割を担ってほしいものである。(チューリヒ在住ジャーナリスト中東生 共同通信特約)