元常連客、ニューヨーク支店マネージャー着任 ラーメン店「E・A・K」マネジャー 宮下清幸さん

飲食関係の仕事には昔から興味が?

宮下清幸さん 2008年、株式会社ギフトを立ち上げ、「横浜家系ラーメン 町田商店」をオープン。海外店の立ち上げに携わり、17年からニューヨーク店マネジャー。www.eakramen.com

親が美容院をやっていて忙しかったので、小学校3年から中学生まで、僕が毎日家族5人の食事を作っていました。今もその時の癖が残っていて、料理は全部目分量で自己流です。

一緒に会社を始めた田川翔社長との出会いは?

15年ほど前、僕は田川が当時勤めていた横浜のラーメン店の常連客で、1カ月半、毎日1日2回通っていて、10キロ太りました(笑)。スタッフが楽しそうに働いていて、ここに入りたいなと思っていました。結局2年後に電話をかけて入社しました。そして1年後に田川が独立することになり、声を掛けてもらったので、一緒に飲食店経営の会社を設立しました。

町田商店の立ち上げは、どうでしたか?

予算作成やシフト作成・チェック、商品のABC分析(在庫管理)などの洗い出し中。メニュー作りや調理を手掛ける傍ら、マネジャーとしての仕事は多岐にわたる

「余裕で売れる」と高をくくっていたんですが、客が入らなくてきつかったです。スープの味が納得できなくて店を閉めたこともあり、お客さんが離れていきました。でも、このまま駄目になるという気持ちは一切なかった。ちゃんとうまいラーメンを出して接客すれば、絶対に大丈夫と信じてやり続けました。入り口にお客さんが並んでいるイメージを持ち続けました。

その後、僕が店長になって売り上げが伸び、以来5年間は一度も下がらなかったです。僕の力だけでなく、店数が増えて名前が売れてきたことも大きいです。

ニューヨーク店マネジャーに着任した経緯は?

ラーメンのスープ作りは、炊き上がりの最後2時間は目が離せない。集中力が必要な作業だ。

プロデューサーとして各国に行きましたが、シンガポールに社長として赴任していたある日、田川から電話でいきなり「ニューヨーク、頼むね」と言われて、「分かりました」と(笑)。

こちらに来て約1年になりますが、現場責任者として休みなしで働いていて、マンハッタンから2回しか出ていないです。「この味なら」と自信があったんですが、最初は大変でした。でも、1年経ってようやく黒字になってきています。

大変だったことは?

米国の飲食関係の決まりを知らなくて、オープン時に衛生局の検査に引っ掛かってしまいました。スープを炊く大鍋が入るサイズのシンクがなくて、営業停止になり、急きょ作ったり。温度や掃除などの衛生面、安全に関するルールが厳しくて、保険料も大変。冷蔵庫もよく故障するので修理費がかかります。

うれしかった瞬間は?

やっぱりお客さんが店の入り口に並んでいる時。リピートしてくださる時もうれしいです。僕は一度話したお客さんの顔は忘れないんです。一人一人の注文、麺の硬さや薬味なども全部覚えています。

今後の目標は?

会社としては、米国で1000店舗出店。個人としては、自分にしかできないことをやっていきたい。僕は切り込み隊長的なところがあるので、次はヨーロッパ出店を任せられる可能性もあります。でもゼロから1を作るのが一番大変であり醍醐味(だいごみ)なので、挑戦していきたいです。

『若者の日常チェック!』

オフの時間には、「洋服を買いに行くことと、街並みを見ながらボケ〜っとするのが好き」と宮下さん

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