埋葬地やっと捜し出す 国東市の仲村俊英さん

シベリア抑留、ジョージアで死亡した伯父

©有限会社大分合同新聞社

突き止めた埋葬地に伯父弘法さんの遺影などを置いた仲村俊英さん=ジョージアのトビリシ

 国東市国東町の仲村俊英さん(66)は太平洋戦争直後の混乱期、シベリアに抑留された伯父弘法さん(享年24)をジョージア(旧ソ連・グルジア)の病院で亡くした。埋葬先が分からないまま70年。本紙の記事がきっかけとなり、このほど、同国を訪問。骨が埋まっているとみられる大学の敷地に遺影と花束を置いた。「伯父の事が自分の肩や背中に重くのしかかっていた」。墓参を夢見た母ミヨシさん(享年88)の思いを胸に冥福を祈った。

 3年前に亡くなったミヨシさんの遺品の中から一通の手紙を見つけた。宛名は別府市南立石八幡町の無職、高田邦夫さん(92)。

 高田さんは本紙2010年8月11日付朝刊の終戦特集記事「シベリア抑留 65年目の夏」で過酷な戦争体験を語った。シベリアに抑留され、カザフスタンの捕虜収容所で強制労働させられた。

 弘法さんもカザフスタンの捕虜収容所にいた。記事を読んだミヨシさんは墓を訪れたいとのいちずな思いから、高田さんに手紙をしたためたようだ。結局、手紙は出さなかったらしい。

 俊英さんは弘法さんの死亡後に生まれ、面識はない。ミヨシさんから生前の様子は伝え聞いていた。ミヨシさんの思いを伝えるため、すぐに高田さん方を訪ねた。当時の話を聞くうちに「戦争をしてはいけないという思いと、墓参を願った母の思いを受け継ぎたい」との感情が一層強まった。迷うことなく、埋葬地を本格的に調べ始めた。厚生労働省などの協力もあり、2年がかりでジョージアの首都トビリシのトビリシ州立大学敷地内にあると突き止めた。

 9月末、会社員で長男の裕一さん(35)と、空路、トビリシへ。残念ながら墓石やモニュメントはなかった。通りがかった高齢の女性に埋葬地がないか通訳を介して尋ねたところ、「ここには日本兵やドイツ兵が埋葬されている。ドイツ人が参りに来たこともある」と答えた。

 「ここに埋葬されている」と確信した俊英さんは弘法さんの名前を叫び、思わず号泣したという。「やっと母の思いを伝えることができたという感情があふれ出した」と振り返った。

 骨を捜そうとしたが、地面を掘り返すことは許されなかった。土や石を持ち帰り、自宅の仏壇に供えた。俊英さんは「戦争を知らない世代が増えているが、この悲惨な出来事を決して忘れてはいけない」と話した。

<メモ> 太平洋戦争末期、日ソ中立条約を破棄して旧ソ連軍は満州や朝鮮半島に侵攻した。終戦後、労働力を補うため、拘束した日本兵をシベリアやモンゴルの強制労働収容所へ移送した。厳寒の中、森林伐採や鉄道建設の重労働を課した。約57万5千人が拘留され、約5万5千人が飢えや寒さで死亡した。県内出身者は702人の死亡が確認されている。旧ソ連・グルジアにも敗戦国の日本やドイツ、イタリアから捕虜が連れてこられたとされる。