県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(17、終)=移民の故郷で先人に祈り捧げ=子供靴の町、一時代築いた徳永家

乾杯する川合県連副会長と安永連合会長

乾杯する川合県連副会長と安永連合会長

 ビリグイ日伯協会は1958年に設立し、現在会員は約150世帯。後継者となる若者不足という地方共通の悩みを抱えるが、ゲートボールやカラオケの他、盆踊りや芸能祭、敬老会など年中行事が続けられている。
 安永連合会長によれば「母の日は男性が食事を作り、父の日は女性が作る。会員は少ないながら、家族の親睦を大事にする習慣が今でも続いている」と話す。
 前日の土日にはヤキソバ会が行われており、婦人部は故郷巡り一行の夕食準備も含めて、4日間連続でのボランティア労働に追われた。だが、少ない会員ながら高い結束力を伺わせた。
 金沢美恵子婦人部長(二世、61)は「婦人会の仕事は大変。でも家に居るより、皆とわいわいやるほうが楽しい。こんなに日本人が来たのは初めて」と笑みを浮かべ、疲労の色を見せずに一行を歓迎していた。
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 そこでの歓迎夕食会は、日本移民110周年追悼法要からはじまった。アラサツーバ西本願寺の井上穣信住職による読経のなか、一行は焼香に列を成し、先没者に祈りを捧げた。
 井上住職は法話で「私達には手が二つある。一方は祖先、もう一方は子供と繋ぐ手だ。この世にポンと生まれてきたのではない。繋いできた先祖の思いを子供たちに伝え続けていくことが大切。人と人とが繋がり、皆さんは今日ここにやってきた。多くの人と繋がれた喜びを胸に、110年に感謝しましょう」と語りかけた。
 田中オズワルド会長(65、三世)は「今日は様々な県出身の方が来ていると聞き、とても嬉しい。遠方からようこそおいで下さいました。最後まで楽しんでいってください」と歓迎した。
 川合昭県連副会長は「まさかここで110周年法要を迎えることが出来るとは。このことを心に刻み生涯忘れない」と感激した面持ちで語り、「110周年は終わりではなく次の出発点。県連はもっと地方と手をとって、日系社会に尽くさなければ。命ある限り日系人の幸福のために頑張って参りたい」と思いを新たにしていた。
 その後、市内観光できなかった一行のため、ビリグイの紹介映像が流され、説明を受けた。同市は近郊ではアラサツーバに次ぐ第二の経済規模を誇り、人口およそ12万人。「子供靴の町」として知られるほか、地域の物流拠点ともなっており、新たな商業施設が建設され発展を遂げている様子が映し出された。
 市内には約300以上の靴工場を有しており、なかでも子供靴製造大手「KLIN」は、世界60カ国で事業を展開。4千人以上の従業員を抱え、一日あたり4万5千足を生産する。

横断幕を持って記念撮影

横断幕を持って記念撮影

 安永連合会長がビリグイ会長時代に刊行した百年記念誌「ビリグイにおける日本移民の影響」によれば、同市における靴生産は、41年に徳永家が「Selaria e Sapataria Noroeste」を開店したのが始まり。手工業からいち早く機械化を図り、同店で技術を身につけた人々が巣立って靴メーカーを起業するようになったという。
 その徳永家を顕彰して、市内にはトクジ・トクナガ通り、ツネキチ・トクナガ通りという名が付いた通りまである。同市にも日系人の隠れた功績があった。
 その後、川合県連副会長が乾杯の音頭を取り、夕食会に。やがて、カラオケ大会となり一行は自慢の歌声を披露。最後は唱歌「ふるさと」を全員合唱して、故郷巡りの旅程を全て終えた。
 翌9月25日朝、一行はアラサツーバを出発。夕刻にリベルダーデに到着すると、参加者は抱擁し合い、再会を誓って解散となった。(終わり、大澤航平記者)

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