鹿島がACL王者に!「Jリーグ勢のアジア制覇に貢献した5人のレジェンド」

今季のACLは、鹿島アントラーズが決勝でペルセポリスを退け、通算20個目のタイトルを初の“アジア制覇”という最高の形で締め括った。

アントラーズのアジア制覇は、Jリーグ勢としてはのべ5チーム目のアジア王者となる。

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1999年 ジュビロ磐田(当時はアジアクラブ選手権)
2007年 浦和レッズ
2008年 ガンバ大阪
2017年 浦和レッズ
2018年 鹿島アントラーズ

※Jリーグ創設以前には、読売クラブと古河電工のアジアクラブ選手権優勝もある。

そこで今回は、Jリーグ勢のACL優勝に貢献した「5人のレジェンド」を各チームからピックアップしたので紹介したい。

中山雅史

名波浩、藤田俊哉、奥大介らを擁する強力な中盤のアシストもあり、1998年にJリーグ最多得点記録となる36ゴールを叩き出した日本サッカー史上に残るストライカーは、その好調ぶりをアジアの舞台でも発揮した。

1997年に初のJリーグ王者となったジュビロ磐田は、1998-99シーズンのアジアクラブ選手権に出場。今回、鹿島がトロフィーを手にしたテヘランのアザディ・スタジアムで行われた決勝戦で地元イランのエステグラルと対戦すると、約10万人の完全アウェイだったが中山のゴールもあり2-1で勝利、Jクラブ初のアジア王者となったのだ。

現在もJ3のアスルクラロ沼津に在籍。トレーニングでは自らの経験を若手FWに伝授するなど、良きお手本にもなっている。

長谷部誠

浦和レッズからドイツへと渡り、代表キャプテンを長く務めるまで上り詰めた日本の誇るリーダー。W杯で三度主将を務めた選手はロナウドやドログバなど世界に数人しかおらず、この記録も彼のキャプテンシーの偉大さを示すものとなっている。

スタメンに定着した2003年にナビスコ杯を制してレッズとして初タイトルを獲得すると、彼の成長とともにレッズも次々とタイトルを獲得。2006年元日に天皇杯を制しカップウィナーとして2007年のACLに出場すると、埼玉スタジアムでのサポーターの後押しもあり大会初出場で初優勝という快挙を達成した。

ACL優勝とクラブW杯3位という成果を置き土産に、翌2008年1月にドイツのVfLヴォルフスブルクへ旅立つこととなったのだ。

遠藤保仁

10日の湘南ベルマーレ戦でフィールドプレーヤーとしては史上初となるJ1通算600試合出場を達成した”マスターオブガンバ”。ACLでも通算59試合に出場、こちらは日本人最多記録となっている。

2008年のACLでは、大会6ゴールのルーカスや5ゴールの活躍で「ACL男」と呼ばれた山崎雅人(現・ザスパクサツ群馬)といった攻撃陣を支えるだけでなく、自身も決勝のアデレード・ユナイテッド戦でのゴールを含め3ゴールをマークするなど、ガンバ大阪の初優勝に大きく貢献。前年の浦和に続きJリーグ勢の2年連続アジア制覇となったのだ。

残留争いに巻き込まれた今年のガンバだが、ここにきてリーグ戦8連勝と完全復活。来年は再び上位進出に期待したいところだ。

阿部勇樹

浦和レッズで二度のACL優勝という実績を誇り、守備の要として欠かせないチームの重鎮。9月で37歳になった大ベテランだが、今でも親しみをこめて「阿部ちゃん」の愛称でお馴染みだ。

レッズでは加入1年目の2007年からスタメンに定着、イランのセパハンとの対戦となった決勝ではゴールも決め最初のアジア制覇に貢献した。

さらにレスターでの海外挑戦を挟んで2012年にレッズに復帰すると、同じタイミングでレッズにやってきたペトロヴィッチ監督から主将に任命され、ミシャサッカーのキーマンとしてチームを牽引する。

昨年、満員の埼玉スタジアムでサポーターの歓喜とともに10年ぶりのアジア王者として彼がトロフィーを掲げたのだった。

小笠原満男

最後は、鹿島アントラーズの「チームキャプテン」として優勝トロフィーを掲げた小笠原満男で締め括りたい。

その技術がチームにとって欠かせないだけでなく、長く在籍する同期の曽ヶ端準とともに“常勝”鹿島の勝者のメンタリティを伝承するという大きな役割を課されている。

テクニカルディレクターとしてクラブに復帰した「神様」ジーコの推薦により今夏加入し、準々決勝以降の6試合で5ゴールの大活躍だったセルジーニョ、チーム内でただ一人全14試合に出場し大会MVPにも選ばれた鈴木優磨など、今年のACLでは攻撃陣の活躍も大きかった。

しかしそんな彼らを精神的支柱としてバックアップし、「ジーコのスピリット」を伝えたのが小笠原であることを忘れてはいけない。

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