プーチン氏の柔道愛 期待しすぎた?日本外交

北方領土返還交渉の舞台裏

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講道館での柔道けいこに参加したプーチン大統領=2000年9月 柔道の創始者、嘉納治五郎氏(右)

 日本の北方領土返還を巡り、安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領との交渉の加速ぶりが注目されている。これまで正規の会談以外に、双方が対話する機会の場によく利用されてきたのが柔道だ。2018年9月にウラジオストクでの会合(東方経済オーラム)でプーチン氏が「前提条件なし」の日ロ平和条約締結を提案した直後に、安倍首相がそれは受け入れられないと伝えたのは一緒に柔道観戦しながらであった。それも柔道の創始者、嘉納治五郎氏の名前を冠した各国の10代の生徒たちが参加する大会だった。プーチン氏の柔道好きは有名だが、なぜ日ロ外交の場に度々選ばれるのか着目してみた。(共同通信=柴田友明)

 柔道場は「自分の家」

 柔道に並々ならぬ関心を抱く、新たな国家指導者プーチン氏。日本側がそう実感したのは18年前の2000年9月にさかのぼる。この年、初めて大統領に就いたプーチン氏は東京・文京区の講道館を訪れ、森喜朗首相(当時)、五輪金メダリスト山下泰裕氏が見守る中、「畳の上に立つと、自分の家にいるような気がする。家族と一緒にいる気持ちになる」とあいさつした。当時47歳の若き大統
領は、講道館のベテラン選手を相手に一本背負い投げ、ともえ投げなどキレのあ
る連続技を繰り出した。最後に花束を贈呈した子どもの女子選手を練習けいこに
誘い、自ら投げ飛ばされるハプニングも演出した。

 けいこ相手となったベテラン選手は「力で持っていく柔道を想像していたが、講道館の本来の柔道だった。柔軟な動きから練習を積み重ねてきていることが分かった」と振り返る。礼に始まり、礼に終わる柔道のマナーもしっかり身に着けていた。

 プーチン氏と長年交友のある山下氏は以前、筆者の取材に「恩師の影響が大きい。柔道精神を人生や日常生活に生かすことを学んでいる」と語ってくれた。

柔道大会を観戦するロシアのプーチン大統領(左から3人目)と安倍首相(右から2人目)。右端は山下泰裕氏=2018年9月12日、ロシア・ウラジオストク(共同)

 大統領の師匠

 日本発祥の武道の世界にいざなったのはアナトリー・ラフリン氏だ。6年前に75歳で亡くなった。サンクトペテルブルクで柔道クラブを主宰していた1965年、プーチン氏が入門した。ラフリン氏は27歳、プーチン氏はまだ13歳だった。やんちゃ盛りで、けんかが強くなりたいというのがプーチン少年の願いだった。ラフリン氏が知人に語った話によると、最初は、道場では目立たなかったが、自分より大柄な選手に立ち向かっていく姿が印象的だった。ある時、絞め技で負けたことを大変悔しがり、激しい練習をして力をつけ、同じ選手との試合を希望して、今度は逆に絞め技で勝ったという。

 ラフリン氏は「柔道はただのスポーツではない、フィロソフィー(人生哲学)である」と弟子たちに語ってきた。勝つことだけにこだわるのではなく、何より
も困難に直面することを恐れず、仲間と共に人格を高めていく。そこには本来の
柔道に通じる理念があった。勝つことが至上命令だった旧ソ連スポーツ界で過ご
しながら、ラフリン氏のそういう言葉に影響を受けたようだ。プーチン氏自身も
「柔道のない人生は考えられない。哲学である」と師の言葉通り柔道への愛着を
語っている。

ウラジオストク郊外で、ロシアのプーチン大統領(右)と柔道大会を観戦する安倍首相=2017年9月7日(共同)

 「柔道外交」

 NHKの元モスクワ特派員が2004年にそのラフリン氏にインタビューしている。その中で、プーチン氏を愛称で呼び、日本に行った時に買った、柔道で組み合う人形を誕生日プレゼントとして渡してかつての弟子に説いたという話がある。

 「ヴァロージャ、この闘っている人形には哲学がある。2人は敵ではなく競争
相手だ。いずれもが勝ちたいと思っているが殺そうとしていない。勝負が決まれ
ば別れる。この人形は闘っているが、争ってはいない」。ラフリン氏がいつ説教
をしたかはっきりしないが、興味深い話だ。プーチン氏は大学を卒業後にKGBに勤め、その後政治に深く関わり始めていた時期かも知れない。

 柔道創始者の嘉納治五郎氏、直接指導したラフリン氏、金メダリスト山下泰裕
氏の3人を尊敬するロシアの最高指導者。外交交渉ではこわもてのタフガイだが、柔道のイベントに出席する時には顔をほころばせるプーチン氏へのアプローチとして日本側も「国技」とも言える柔道を使わない手はなかった。プーチン氏もけいこで覚えた「引き分け」という言葉を過去の会見で語り、日本側の反応を見続けてきた。

ロシアのサンクトペテルブルクで、山下泰裕氏と柔道のけいこをするプーチン氏(左)=2005年12月(AP=共同)

 最近も会談の場で、「柔道」を使ったやりとりも多い。2016年9月のウラ
ジオストクの会合では、安倍首相は「大統領ならよくご存じの、ロシアに初めて
柔道をもたらしたのはワシリー・オシェプコフ氏は(この地で)最初の道場を開
いたそうです」と、日本ではあまり知られていないロシア柔道の父とされる人物
について言及した。昨年9月の同じ会合で、安倍首相から嘉納治五郎氏の書物「精力善用」を贈られ、プーチン氏は上機嫌だったという。

 柔道を通じて日本人の心に触れ、考え方を学んだプーチン氏。だからと言ってそれが北方領土返還交渉など数々の対日外交の場で有利に働いたかというと、これまでの経過を見れば、決して頷くことはできない。

 「お互いに話し合える場として柔道を使うことはいい。ただし、それで日本に有益に働くと甘く考えてはいけない。プーチンはロシアの国益のために日本と向き合っている」。柔道外交の事情に詳しい関係者は筆者にそう語ったことがある。