【特集】世界の「HOTEI」へ

欧州ツアーの布袋寅泰に聞いた「本音」

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スイス・チューリヒで行ったライブでギターを奏でる布袋寅泰。ソロデビューから30年となった今も、その情熱に衰えはない=Photo by Michiko Yamamoto

 ヨーロッパの5カ国でのライブツアーを終え、現在は12月末までに全国18都市で全19公演を開催する日本ツアーを行っている布袋寅泰。1988年のソロデビューから30年を経ても、なお疾走し続ける日本を代表するギタリストが1年半ぶりのライブで訪れたスイス・チューリヒで「現在地」、そして「その先」についてじっくりと語ってくれた。

 ▼「お帰り」

 秋晴れの爽やかな天気に恵まれた10月10日、HOTEI―布袋寅泰がスイス・チューリヒに〝帰って〟来た。

  1980年代に活躍したバンド「BOØWY」のギタリストとして日本のロックシーンを牽引(けんいん)した布袋。2012年にロンドンへ活動拠点を移すと、15年には、フィンランドのレーベルでヘヴィーメタル系の大物バンドが多く所属する「スパインファーム・レコード」と契約を果たす。同年10月に同レーベルから欧州とイギリス、日本で同時発売したアルバム「STRANGERS」は伝説のロック歌手イギー・ポップと共演したことでも話題となった。

  そして、17年4月にはチューリヒでは初となるライブを開催した。だが、会場は小さなライブハウス。日本では東京ドームを始めとして数万人が収容できる会場をやすやすと満杯にしてきた布袋がはるかに少ない観客を前にギターを弾く姿に、ほとんどの布袋ファンたちが驚きを隠さなかった。

  その時の感想を布袋は次のように語る。

  「小さなクラブでの演奏なので新鮮でした。客席と近いという緊張もありますが、良い音を出すとすぐに笑顔が生まれたり、雰囲気が高揚していくのが手に取るように分かりました。1曲目からそんな感触が得られたのが印象的でした」

  それから1年半を経た今回のライブは、ドラマチックなイントロが鮮烈に耳に残る映画「キル・ビル」のテーマ曲「Battle without honor or humanity」で幕を開けた。「Bombastic」「Be my baby」と一気に弾き終わり、ようやく一息ついた。 

 観客には前回のライブからファンになったという現地の人たちも多く見られた。彼らが「布袋サウンド」に酔いながら、日本人ファンとともに踊っている姿が印象的だった。

  その後、ユダヤ音楽やフラメンコ、バーンスタインが好んで使ったリズムといったさまざまな音楽的要素を取り込んだ意欲作「月光ピエロ」、「Paradox」、インストゥルメンタルの「Maze」と展開していく。そして、「ヒトコト」。この夜、最も心が震えた一曲だ。会場にドイツ語や英語の字幕を出してほしいと思うほど、世界に向けたメッセージが込められていた。

  チューリヒの前に公演したパリでは「お帰り」という迎え方をされたと聞いていたので、会場で出会ったコアなファンとともに「お帰り」と叫ぶ段取りを付けていたが、そのきっかけすら見つからないほど、布袋が紡ぎ出す音楽に魅入られていた。

 

チューリヒのライブで〝足上げステップ〟をする布袋=Photo by Michiko Yamamoto

 その後も「Dreamin’」や「スリル」「RUSSIAN ROULETTE」「バンビーナ」などの懐メロで会場を盛り上げた。ライブ全体を通じて、その比類ないギターテクニックを惜しみなく披露してくれた「HOTEI」は、詰めかけた観客を興奮の渦に巻き込んだまま舞台を去っていった。

  翌日にはイタリアのシンガー・ソングライターでグラミー賞にもノミネートされたことがあるズッケロとミラノ(イタリア)のライブで共演するほか、次回作のプロデューサーにも会わなければならないという布袋。影響で17年4月のライブではあったファンとの触れ合いの場はなく、出待ちをしたファンたちは名残惜しそうにライブハウスを後にした。

 ▼「布袋」から「HOTEI」へ

 何はともあれ、この近さで布袋の「音」を体感できるのは非常にぜいたくだ。なぜ、そんな恩恵にあずかれるのか。

  「日本は『毎年、ニューアルバムを出す→その後にライブ』というスケジュールが可能だが、異なる文化が隣り合っている欧州やアメリカではそうはいかない。自分の音楽を理解してもらうためにはそれぞれの国の観客とより近くで向かい合わなければならないと考えた」

  布袋が理由を語る。

  そのことも影響しているのだろう。ブリュッセル(ベルギー)を手始めにパリ、チューリヒ、ミラノ(イタリア)、ロンドンで行った今回のヨーロッパ・ツアーは12人という日本では考えられないほど少ないスタッフで実施。さらには、何とバスで一緒に回ったのだった。

  なぜ、わざわざそのような苦労を必要とするロンドン移住を決意したのだろうか。布袋はこう振り返る。

  「(故郷の)群馬県高崎市で14歳の時にギターを始めてから、イギリスのロックに憧れ、世界を目指してもいた。19歳(だった1982年にBOØWY)でデビューしてから、あっという間に30周年を迎えた時、50歳も目前で、娘も10歳、震災もあり、生きるということを改めて考えさせられた時期でした。ステージでは『頑張ろう!』というメッセージを投げかけている本人が、手に入れた成功に甘んじて、あきらめている部分があった。この辺でもう一度、一から若いころの夢をかなえたいと思ったので、家族を説得して移住しました。それまでもレコーディングなどで20代始めから行き来してなじんでいたイギリスですが、家族で来るということは大変なことでした。英語文化ということもあり、最初は気負っていたところもあったけれど、最近やっと肩の力が抜けて来た気がします」

 ▼移動はバスや地下鉄

 ロンドンに住むようになったことで、彼の音楽にはどのような影響がもたらされたのだろう。

  「(17年に)ユニバーサル(ミュージック)から日本で発売した『Paradox』はロンドンからの目線を反映させています。世界で相次ぐテロやアメリカの銃器問題、争い…といった人間の弱い部分に焦点を当て、日本語で丁寧に描いています。ヨーロッパではCDとしては売り出されていませんが、インターネットの配信サービスなどを通じて今ではヨーロッパだけでなく世界中の人たちが聴いてくれています。次のCDはまさに今、ロンドンのスタジオでコツコツ作り上げている最中です。日本ではプログラマーからギターの弦を代えてくれるスタッフまでいる(恵まれた)中でのレコーディングでしたが、こちらでは全て1人でやっています。毎朝ギターを抱えて、バスと地下鉄を乗り継いでスタジオに到着し、作品を作っています。本当は、今回のヨーロッパ・ツアーに間に合えば、その新曲を抱えてツアーを回ろうと思っていました。ですが、前回となる『Paradox』が自分にとって最高傑作だったので、そのプレッシャーから少々苦戦しています。でも、(ロンドンに渡ってから積み上げてきた)貴重な体験が音になって表れる、ワールドワイドに活躍するための勝負作になると思います」

  そう話してくれたのは、ヨーロッパ・ツアーの直前。ツアーを通じて得たさまざまな感覚や思いが「触媒」となって、次のアルバムに生かされるに違いない。ミラノで共演したズッケロとも特別な関係を築きつつあるようだ。

 

ライブでは持てるテクニックを存分に披露。観客を魅了した=Photo by Michiko Yamamoto

 「ズッケロは、これからも僕の人生を左右する存在になると思います。(今年)7月には彼の招待で、ヴェネツィアのサンマルコ広場でのコンサートに出演してきました。彼も、欧州、特に祖国のイタリアでは押すも圧されぬ人気を誇るミュージシャンですが、その成功に安住することなく、〝イタリア語では渡っていかれない世界〟を目指し、さらなる発展を模索して来た人なので、僕を『何年か前の自分』のように思ってくれているようです。これからもコラボとしてだけでなく、一緒にやっていきたい人です」

 ▼組み上がったパズル

 現代ロックのアイコン「布袋寅泰」と相対して感じたものは、人としての魅力にあふれているということだ。それは、スターだからではない。彼が見せるやさしさや真面目さひたむきさ、そしておとこ気が人を引きつけるのだ。

  それは、楽屋入りする共演者に「カレー用意してあるから!」と心を配るところにも現れている。「ギターのチャンピオン」が見せるやさしさに一度でも触れたら、誰もが一緒に仕事をしたいと熱望するに違いない。そんな人だからこそ、思わぬ縁を呼び込めるのだろう。そう考えると、米国の大物作曲家であるマイケル・ケイメンの招待で1996年のアトランタオリンピック閉会式に出演したのも、イギー・ポップと共演することになったのも、不思議はないとうなずける。

  「イギー・ポップには10代から憧れていたのですが、ボウイとして(ドイツの)ベルリンへレコーディングに行った時、なんと同じ飛行機に乗り合わせていたのです! 奥様が日本人だったこともあって、僕たちを知っていたようです。それでイギー・ポップの方から『君たちは日本で有名なバンドらしいけど、サインしてもらえるか?』と言って来たのです! 数年前に(アメリカの)マイアミでセッションする機会に、その話をしたら『ああ、あの時の君か~』と覚えていてくれました。これをきっかけにイギー・ポップとつながったのです」

  それぞれにしっかりと存在してはいるものの、まとまることのなかった「パズルのピース」が、覚悟を決めて決行したロンドン移住によってつながった。組み上がったパズルには「世界制覇」の予想図が浮かんでいるようだ。飽くなきエネルギーはいったいどこから湧いてくるのだろうか。

  「チャレンジしなければ手に入らないものもあるので、ある所までたどり着いたら、リセットする事も大切だと思います。惰性にならず、自分と向き合って、新たなハードルを課す。こちら(ヨーロッパ)ではいろいろ悔しい思いもしました。たとえば、ハンブルクのライブでは、モニターエンジニアが携帯電話をいじっているのです! 『日本で売れている』という肩書はこちらでは通用しないので仕方ありません。それでも『自分で始めた事だから、音で伝えなきゃ』と思っていると本当に伝わったようで、彼の態度が変わり、次回も是非やらせてくれ、と言われました」

 ▼来年には世界ツアーも

 そんな苦労はあったものの、手応えを感じ始めている。

 

ライブ開催を告知するポスター=スイス・チューリヒ、藤森志保撮影

 「現在ようやくこちらのシステムなどに慣れて来て、『活躍の一歩手前』といった状況です。自分を信じて、いろいろなことから学びながら、さらなる飛躍をしていこうと思います。海外に出るのはある意味、〝遅まき〟でしたが、自分のスタイルを確立出来た後という意味では長所となり得ます。越えるべきハードルを上げ続けるのは大変です。僕の音楽は元々、ヒリヒリ痛くて、でも、聴いていると歯を食いしばりながらも笑顔になれるようなテーマが多いので、(行き詰まったときは)自分のいろいろな思いを音に乗せるのです」

  当然だが、布袋らしくこの先も見つめている。

  「自分のプライドやプロフェッショナルの意地と皆の夢を背負って、日本の誇りでありたいと思います。そして、究極の夢は世界中に僕の音楽を聴きたいと思ってくれている人がいて、どこに行っても『お帰り』『ただいま』と言い合えるコミュニティーを作ることです」

  「日本と世界を区別するのではなく、ファンの期待を裏切らないよう、『最新の布袋が最高の布袋』のモットーの通り、ヨーロッパ・ツアーで得た成長も見てもらいたい」

  熱い言葉で締めくくった布袋寅泰。来年には世界ツアーも考えているという。彼が描く究極の夢は、着々と形になりつつある。(チューリヒ在住ジャーナリスト中東生 共同通信特約)