『L'Equipe』は15日、「元アルゼンチン代表FWリサンドロ・ロペスは、リヨンのジャン=ミシェル・オラス会長を批判した」と報じた。
2009年にFCポルトからリヨンに加入し、カリム・ベンゼマの穴を埋める活躍を見せたことで知られるアルゼンチン人FWリサンドロ・ロペス。しかし2013年の夏、自ら移籍を明言してカタールのクラブへ去っていった。
現在35歳になる彼は地元メディアのインタビューに対して以下のように話し、ユヴェントスやトッテナムからのオファーが断られたことが残念だったと明かした。
リサンドロ・ロペス 「ほぼ80ゴールを決めていた3年間の後、レミ・ガルド監督は私をストライカーから左ウイングへ移すことを決めた。
バフェタンビ・ゴミスがトップ、アレクサンドル・ラカゼットが右サイド、クレマン・グルニエかヨアン・グルキュフがトップ下だ。
私はそれに同意しなかった。6ヶ月が過ぎた時、私はアームバンドを返して、こんな仕事をさせるならむしろベンチに置いてくれと言ったんだ。
そのシーズンが終わった時、私にはユヴェントスへ移籍するチャンスがあった。
ところが、リヨンの会長(ジャン=ミシェル・オラス)はそれを拒否した。それは移籍マーケットの締切まであと1週間というところだった。
そしてアンドレ・ヴィラス=ボアス監督(当時)がトッテナムに誘ってくれた。我々はそれに全て合意していたんだ。
しかし、リヨンの会長はまたドアを閉めてしまったんだ。
それから、アンドレ・ヴィラス=ボアスがチェルシーに行ったときにもオファーを貰ったようだ。しかし、それは私のところまで届かなかったんだ。なぜならその時ちょうど代理人がいなかったから。
とても残念だった。そして、2度とヨーロッパではプレーしないと決めたんだ」
(リヨンを離れてからカタールのアル・ガラファ、ブラジルのインテルナシオナウを経て、2016年に古巣のラシン・クラブに戻ってきたね)
「ロベルト・アジャラが監督をしていたときに誘われていたんだが、その時リヨンは600~700万ユーロを求めていた。
私はその時1年しか契約を残していなかった。リヨンはモナコかナポリに売りたかったんだけどね。
ただ、私は2度とヨーロッパではプレーしないと決めていたからね。だから、その後カタールのアル・ガラファに行ったんだ」