カネミ油症50年 「死ぬことばかり考えた」 教訓次世代へ 被害者ら吐露

 カネミ油症事件の教訓を未来に生かすためには-。事件発覚50年の節目に長崎県五島市で17日開かれた記念行事では式典後、約190人が四つの分科会に分かれ、被害の実相や救済の課題について理解を深めた。県内外や台湾から参加した被害者らは、不十分な救済制度、次世代を含めた未認定問題など、それぞれが抱える苦しみと願いについて熱心に語った。

 「苦しくて、つらくて、早く死ぬことばかり考えていました」。油症被害者、森田安子さん(65)=福岡県大牟田市=の声が響いた。五島市で汚染油を摂取した認定患者3人が、半世紀の壮絶な体験や思いを吐露した分科会。市民らが耳を傾ける会場には、1週間前に自らの被害に気づいたばかりの未認定の男性(65)=同市=の姿もあった。「同じだ」。3人から語られる症状の多くが、男性自身の体験と重なった。

 長崎県内で突出して被害者が多い五島市。森田さんは15歳の時、玉之浦町の自宅で汚染油を使った家庭料理を食べた。しばらくして足にピンポン玉ぐらいの腫瘍ができ、顔は腫れ上がった。呼吸困難などで学校を長期間休み、「生きているのがやっとだった」。

 島を離れ、24歳で結婚。流産を繰り返した後、3人の子に恵まれたが、子育て中、失神するほどの目まいに襲われるなど体調不良に苦しんだ。事件から40年以上たった2010年、森田さんは油症認定された。

 不安は今、わが子に及ぶ。皮膚疾患や子宮筋腫などが多発した長女(39)は油症検診を何度も受け、昨年ようやく認定。一方、長男(37)や次女(33)は未認定のままだ。まだ孫はいないが、被害が連鎖する恐れは拭えない。同じ人生は送らせたくない。「親として、被害者を救わない国、そして社会に訴え続ける」。そう声を振り絞った。

 一方、会場で森田さんらが語る症状を聞く男性の思いは、少しずつ「確信」に変わりつつあった。「俺も中学生から30歳ごろまで尻の吹き出物がひどく、顔に黒いにきびができた」

 男性は1週間ほど前、市の広報誌で油症特集を読み、見覚えのある一斗缶の写真に気付いた。中学生のころ、量り売りの油を買いに行った時に見掛けたものと同じだった。母親からカネミ油を食べたとは聞いていた。しかし、病院では「体質だ」と言われ、出身集落には一人も認定患者がいないこともあり、「症状が出る人と出ない人がいるんだと思っていた」。このため、油症検診は一度も受けたことがない。

 来年の検診は受けるつもりだ。血管や肝臓の病気を抱えるが、油症との関係は分からない。だが男性は思う。「油症なら、俺の今までは何だったんだ」

3人のわが子の健康被害について語る森田さん(手前の右から2人目)。左隣は未認定の男性=五島市福江総合福祉保健センター

© 株式会社長崎新聞社