カネミ油症 50年埋もれた被害者 “ゼロ”の集落「俺も患者か」 症状重くとも検診受けづらく 正確な情報伝わらず

 長崎県五島市の奈留島に暮らす木本武明(65)=仮名=は最近気付いた。「自分はカネミ油症ではないか」。無数の吹き出物や黒いにきび、倦怠(けんたい)感など典型的な症状に悩んできたが、油症とは思っていなかったという。1968年発覚の油症事件。なぜ50年もたって新たな被害者が現れるのか。被害はどのように埋もれてきたのか。生まれ育った島の集落を一緒に歩き、話を聞いた。

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 18日午前、海沿いに家屋が並ぶ小集落。「ここがね、店だったんです」。路地を抜けた先で立ち止まり、空き地を指さした。

 「店に入って左に量り売りの油やしょうゆがあった。客が持ち込んだ一升瓶に店のおばさんが一斗缶から油を入れてくれた」。おばさんは親戚で、木本の実家は目と鼻の先。中学3年当時、油を買いに行くのが役目だった。それから半世紀が過ぎた。

 木本は1週間ほど前、市の広報誌を見て「あっ」と声を上げたという。油症発生50年を伝える特集ページに掲載された一斗缶の写真が、あの店のものと同じ形状だったからだ。

 数日後、知り合いの油症患者の男性に「俺もカネミ油を食ったらしい」と明かした。男性が語る吹き出物など特有の症状は、木本が経験してきた症状と一致した。「やっぱり俺も患者か」。止まっていた時計の針が、ようやく動き始めた。

 集落で木本は声を潜め、「ここには認定患者が一人もいない。油症検診を受けた人も聞いたことがない。でも突然髪の毛が抜けた人はいた」と話す。汚染油はここでも売られた可能性がある。住民にも異変があった。だが“患者ゼロ”という奇妙な状況。

 通り掛かった集落の高齢女性に話し掛けると、こう語った。「ここの人にカネミはおらん。食べとらんとは言い切れんが何も症状は出てません。私は足の骨が変形したけど体の使いすぎやろ」。集落に嫁いできてから食料品は、商店や移動販売車で購入。検診を受けたことはない。「カネミの話はずっと知っとるけど人ごとみたいなもんですよ」。そう語り、背を向けた。

 女性の「何も症状は出てません」という言葉。「症状」とは何を指すのか。木本は「黒い赤ちゃん、背中にびっしりの吹き出物、爪の変形。それくらいかな」と推測する。つまり、この集落では、そういった症状しか油症と結び付かなかったというのだ。

 木本は、重篤な皮膚症状が出て島内で受診した際、医者に「体質」と言われ、渋々受け入れた。だが今は違う。「患者が一人もおらんって。どんな冗談だよ」。苦々しい表情を浮かべた。

 「病院でおできを何度も切開したけど、医者は『体質』と言うから。その頃は親を恨んだよ。何で俺だけこんな体に生んだんだって」-。半世紀を経て、カネミ油症の患者だと気付いた木本は、かたくなに油症被害を否定する集落で育った。

 1968年春。当時15歳の木本は中学卒業後、漁業関係の仕事に就いた。間もなく、尻や太ももなど下半身に大きいもので7~8センチの吹き出物が現れ、破れて化膿(かのう)した。仕事で着る雨がっぱや漁網が吹き出物に当たると激痛が走った。頬や背中には先端が黒いにきびができ、つぶすと白っぽい膿(うみ)が飛び出た。指先は風に吹かれただけでうずき、仕事にならないほどの倦怠(けんたい)感が襲う日もあった。

 母親は「毒消しに」と、ごぼうを使ったきんぴらを作ってくれた。「でも、それを作る油だってカネミだった。ぞっとするよ」。吹き出物の症状は悪化。病院に行くのも恥ずかしく、焼いた針で自ら次々に破って膿を出した。傷だらけの体では痛くて風呂に漬かることもできず、仕事で汚れた体のまま、泣いた。吹き出物は何度も何度も現れた。

 カネミ油症は同年10月に新聞報道で発覚。集落にも後になって情報が入ってきた。ある時、急に髪の毛が抜けた男性を見掛け、母に伝えると「あの油のせい。あんたも食べた」と教えられた。だが「症状が出る人と出ない人がいるんだ」と思った程度で、吹き出物と油症が結び付くことはなかった。

 「狭い地域だから油症検診を受ければ、すぐ『金目当て』とか言われる。それは怖い」。しかし集落には木本の父親を含め、背中に吹き出物ができた男性が何人もいた。

 木本は20代半ばで別の集落出身の妻と結婚。その集落も「患者は一人も出ていない」が、妻は若い頃から体調不良が続く。長引く微熱や倦怠感、内臓にも複数の疾患を抱え、医師に「まれに見る特異体質」と言われた。もしかしたら妻も-。そんな疑念は拭えない。

 心配は子にも及ぶ。息子は難産で、“黒い赤ちゃん”ではなかったが、仮死状態で生まれた。「油症のことは、そのうち子どもに伝えようと思います。原因不明の病気になった時、親の影響かもしれないと医者に言えるじゃないですか」

 自分が油症ではないかと思い始めたこの1週間ほど、木本はどんなことを考えていたのか。「やっぱり当時の奈留町の偉い人、医者たちに腹が立つ。玉之浦でも奈留でもカネミで大騒ぎになっているのに、住民に正確な情報を伝えなかった」。来年の油症検診は受けるつもりだが、原因のダイオキシン類などは体内からかなり排出されたかもしれない。

 「認定されなければどうしますか」と尋ねると、木本は海を見つめ、静かにこう答えた。「あと10年、20年生きるか分からないけど、墓場まで持って行く。時間がもったいないから、好きなことをして自分の時間を生きますよ」=敬称略=

「ここに一斗缶が置いてあって、おばさんが瓶に油を入れてくれた」。油を買った店の跡地で木本は記憶をたどった=長崎県五島市奈留町

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