シュミット・ダニエルも海外へ?欧州に挑戦した日本人GKたち

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森保一監督になって日本代表へ初招集されたGKシュミット・ダニエル(ベガルタ仙台)。

アメリカ人の父親を持つ彼については、日本代表史上で“最も高い”197cmという身長ばかりが取り沙汰されるが、代表デビューとなった先日のベネズエラ戦では足元の技術に関しても優れたところを披露し、東口順昭で決まりかと思われていた正GK争いに一躍名乗りを上げた。

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代表デビューの翌日には、海外移籍を強く希望したことが話題となっている。そこで今回は、日本人GKの欧州挑戦の歴史を振り返ってみよう。

権田修一(サガン鳥栖)

2015-2016 SVホルン(オーストリア)

ベスト4入りしたロンドン五輪で守護神を務めた権田。

ザッケローニ、ハリルホジッチ両監督の日本代表にも継続的に招集されたが、2015年にオーバートレーニング症候群を発症し、心機一転、本田圭佑がオーナーを務めるオーストリアのSVホルンへ移籍した。

初の海外生活は右脛骨を骨折、また、欧州GKのレベルの高さを実感するなどほろ苦いものとなった。しかしその経験を糧に森保体制で代表へ復帰している。

林彰洋(FC東京)

2009-2010 プリマス・アーガイル(イングランド)
2010-2012 シャルルロワ(ベルギー)

流経大の2年生だった2007年にU-20ワールドカップで守護神を務め、当時のイビチャ・オシム監督によってA代表候補に初選出された林。

この頃より「190cmを越える大型のGK」として脚光を浴び、複数のJクラブから誘いを受けたが、林が選んだのは海外だった。日本人がオーナーを務めた英国2部プリマス・アーガイルで1季、ベルギー3部シャルルロで1季半プレーしている。

しかし右手首の怪我などに悩まされるなど出場は10試合に止まり、2012年にJリーグへ。その後、鳥栖での活躍が評価されて日本代表へ復帰を果たした。

川口能活(SC相模原)

2001-2003 ポーツマス(イングランド)
2003-2005 ノアシェラン(デンマーク)

先日、現役引退を発表した日本サッカー界のレジェンドは、日本人GKの開拓者でもあった。

マリノスと日本代表で確固たる地位を築いた川口は2001年10月、当時イングランド2部のポーツマスと契約を結び、日本人GKとして初めて欧州移籍を実現させた。

しかし体のサイズも一つの才能として考えられる欧州において、GKとしては小柄だった彼が正当に評価されるのは難しい時代だった。1年目こそ11試合に出場したものの、2季目にはトリニダード・トバゴ代表の長身GKシャカ・ヒスロップが加入し出場機会を失うことに。

2003-04からはデンマークのノアシェランへ移籍したが、ここでもポジションを掴むことはできなかった。

山口瑠伊(エストレマドゥーラ)

2014-2017 ロリアンB(フランス)
2017- エストレマドゥーラ(スペイン)

U-17の頃からユース代表に選ばれている山口は、次代の守護神として期待を集める20歳の若手だ。

東京に生まれFC東京の下部組織で育ったが、父親がフランス人の彼は2014年に同国のロリアンBへ移り、その後、2017年からはプロとしてスペイン下部・エストレマドゥーラに所属している。

ここまで公式戦での出場記録はなく、日本代表でも今年はトゥーロン国際大会で退場、現在UAEで開催中のドバイカップで負傷交代を余儀なくされるなど不運が重なっているが、ここからどのようなキャリアを築いていくだろうか。

川島永嗣(ストラスブール)

2010-2012 リールセ(ベルギー)
2012-2015 リエージュ(ベルギー)
2015-2016 ダンディー(スコットランド)
2016-2018 メス(フランス)
2018- ストラスブール(フランス)

三浦カズが先駆者となり、中田英寿が続いたように、川口が切り開いた道を歩んで成功を収めたのが川島であろう。

大会直前に正GKに抜擢された2010年ワールドカップで活躍し、大会後、ベルギー1部リールセと契約。チームの守備がたびたび綻ぶ中でシュートを止め続けて評価を上げると、同国の名門リエージュへ出世を果たした。

その後、一時は無所属の期間もあったものの、スコットランドのダンディー、フランスのメスを経て、今夏のロシア大会で日本代表の守護神として再びベスト16入りに貢献することとなった。