『不意撃ち』辻原登著 運命に翻弄される人間たち

 何かを決断したつもりでも、それは必然だったとか、全くの偶然に左右されていたのだと、後になって感じることがある。運命の仕業と言い換えてもいい。この道を行くか、あちらにするかを選ぶとき、左の道にきれいな花が咲いていたから左を選んだだけ、というように。

 辻原登の短編集『不意撃ち』に収められた5編には、予測不能な運命に翻弄される人間たちが登場する。みな必然に引っ張られ、偶然に運ばれていく。

「仮面」は平成期に起きた二つの大震災を股に掛け、被災者の窮状を利用しようとして、結局は破滅していく男女が描かれる。

 阪神大震災の後、神戸でボランティアをする中で知り合った啓介とかすみ。啓介は支援名目で作ったTシャツの売上金の使途について「人に言えない秘密を抱えている」。

 2人はNPOを立ち上げ、その後もさまざまな災害現場に関わるが、資金繰りで行き詰まる。そんなとき、東日本大震災が起きる。かすみが津波の映像を見て、啓介に言う。「出番が来たんちがう?」

 救援物資をかき集め、被災地へ。支援で金もうけをするための秘策は、被災した子どもたちに募金集めで表に立って働いてもらうことだった。だが子どもたちに接するうち気持ちが揺れる。そんな2人に皮肉な結末が待っていた。

「いかなる因果にて」は、作者自身を思わせる作家の「私」が主人公。子どもの頃に受けたいじめの腹いせに、不特定多数の人間にゴミを繰り返し送った男の記事を読んだ「私」は、2008年に起きた元厚生事務次官宅への襲撃事件を思い出す。子どもの頃に飼っていた犬が保健所に連れて行かれて殺された仕返しとして起こした事件だった。

 元厚生次官宅を襲った事件の犯人の手記を読み、「私」は心を動かされる。自分も子どもの頃、飼っていた犬を保健所に連れて行かれた経験があったからだ。

「少年は、彼を突き動かす現実の力に対して無力である。そして、哀れなことに犬はさらに無力である。このような出来事の無惨さ、残酷さが、彼に何か人に伝えられない決定的な影響を及ぼしたのだろう」。そして「私」は、中学時代のある出来事を想起する。

「月も隈なきは」は定年退職後、妻や娘と悠々自適に暮らす奥本さんが主人公。彼は密かに「“独り暮らし”をしてみたい、誰も知らない場所で」という願望を持っている。やがてそれを実行に移す。

 奥本さんは若い頃によく「運命の悪意による不意打ち」に思いを巡らせた。「無事に生きていられるのは、外側から恐ろしい力が襲いかかってこない間だけ」という妄想に取り憑かれ、注意深く周囲を見回した。しかし人生も半ばを過ぎたとき「なるようにしかならないと、どこかで思い定めた」。そして、独り暮らしの欲求を抱いたのだ。

 天災や病魔、事件や事故、親しい人の死…。そんな場面に遭遇してようやく、私たちは「明日も今日と同じように続くとは限らない」という当たり前のことに気づく。「運命の悪意による不意打ち」はいつ訪れるか分からないのに。

 流れや渦に巻き込まれるしかないのが人間なのだ。それなのに何かを決め、運命に抗っているつもりでいる。

 人間という存在は、どうしようもなく迂闊で、もろいものだと思い知る。

(河出書房新社 1600円+税)=田村文

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