【平成の長崎】豪華客船火災 三菱の威信かけ船体復旧 平成14(2002)年

 2002(平成14)年10月1日夕、長崎市の三菱重工長崎造船所で建造中の豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」から煙が上がった。当時、長崎市消防団旭町水上分団長を務めていた福田一幹さん(77)は消防から出動要請を受け、10人ほどの団員を乗せ救助艇で現場に向かった。
 白い煙が見え、「ぼやかな」と思った。本格的な火災なら煙は黒い。団員4人が客船に乗り込み消火活動の準備をしていると下の層から火の手が見えた。慌てて「逃げろ」と叫んだ。団員が退避した後、爆発音がして、みるみる燃え広がっていった。
 客船特有の細かく仕切られた構造が消火活動を妨げ、完全に消火するまで36時間かかった。出火元の下の階で行われていた溶接作業が原因だった。
 客船は英国の海運会社から受注した2隻のうちの1番船。11万3千トン、全長は290メートルあり、当時、世界最大級。翌年の引き渡しに向け艤装工事中だった。
 火災で全体の4割が焼損したが、エンジンなど主要機関は無事だった。船主と交渉し、修理することで合意。1番船と2番船の船名を入れ替え、2番船を先に引き渡すことになった。
 被災した客船は「サファイア・プリンセス」と名前を変え、香焼工場に移し復旧作業をすることになった。長崎造船所は客船復旧プロジェクト統括チームをつくり、設計、工作から部品調達に至るまで全実務の権限を与えた。
 当時、長崎造船所の造船設計部次長だった橋本州史さん(65)=三菱造船顧問=は復旧の設計統括に任命された。建造継続で合意したときに引き渡しの日程も決まったが、その時点では被害の全容もつかめていなかったという。「それでも約束したからには期限は絶対に死守する。復旧には三菱の威信がかかっていた」と話す。
 復旧作業は統括チームを中心に長崎造船所の総力を挙げて取り組んだ。OBも積極的に協力。ピーク時には客船2隻の建造に5千人以上の作業員が携わった。
 船体を再製作するためには1万トンもの鋼板が必要だったが、製鉄所が生産計画を変更し供給するなど、関連業界の協力が復旧を支えた。「市民やゆかりの人たちからの激励も従業員の心の支えになった」と橋本さんは言う。
 04年5月27日。引き渡し式を終え、サファイア・プリンセスは長崎造船所の岸壁をゆっくりと離れた。この日は、船主との約束の日だった。(平成30年11月23日付長崎新聞より)
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【平成の長崎】は長崎県内の平成30年間を写真で振り返る特別企画です。

船橋付近が炎上する建造中の豪華客船=2002年10月1日、長崎港

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