再来!大阪万博「よろしおましたな」 【写真特集】55年ぶり 日本の万博 その軌跡

2025年万博の大阪開催を祝う吹き出しが設置された「くいだおれ太郎」と記念撮影する観光客=2018年11月24日午後、大阪・道頓堀  2025年大阪万博の開催決定を祝い、特別にライトアップされた「太陽の塔」=11月24日未明、大阪府吹田市

【写真特集】

BIE総会が開かれたパリから帰国した松井一郎大阪府知事(右)と吉村洋文大阪市長=2018年11月25日、関西空港

 2025年国際博覧会(万博)の開催地が55年ぶりに大阪市に決まった。1970年に続き、再び大阪での万博。誘致レースはロシア、アゼルバイジャンとの三つどもえとなり、BIE加盟国による投票の結果、日本は1回目の投票で1位となり、決選投票でロシアを破った。25年の万博は大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)内の155ヘクタールを会場とし、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに健康、医療に関する技術貢献を目指す計画となる。2800万人の来場を想定、2兆円の経済波及効果を見込む。

 1970年大阪万博は覚えています。長蛇の列で「月の石」を見るのは断念しましたが、わくわくドキドキしながら各国パビリオンを回りました。三波春夫さんソングとともに、高度成長の「象徴」として歴史に刻まれた70年万博。次の大阪万博は何の象徴になるのでしょうか。70年の大阪万博から2005年の愛知万博までの軌跡を写真で振り返ります。(まとめ 共同通信=柴田友明)

※肩書、所属、所在地は撮影当時です。

【写真特集 1970大阪万博】

左は岡本太郎氏がデザインした「太陽の塔」 右はアメリカ館(左上)とソ連館(右下)に挟まれた色とりどりの国内展示館=1970(昭和45)年3月、大阪府吹田市

万博】国際博覧会条約に基づき、パリの博覧会国際事務局(BIE)に承認された博覧会。ロンドンで1851年に初開催。各国が工業力を披露し合う国威発揚型の催しとして発展を続け、新たな発明品や建築物が人々を楽しませてきた。フランスは89年の万博でパリにエッフェル塔を建設、世界的な観光名所に。日本開催は1970年の大阪万博が最初。6421万人が来場し、米宇宙船が持ち帰った「月の石」や携帯電話の原点「ワイヤレステレホン」が話題になった。テーマソング「世界の国からこんにちは」、芸術家の故岡本太郎さんが制作した「太陽の塔」はともに強い印象を残した。前回の日本開催は2005年の愛知万博(愛・地球博)で、展示分野を絞った小規模な万博として1975年の沖縄国際海洋博、85年のつくば科学博もある。会場整備に伴う環境破壊を心配する声を背景にBIEは94年、環境保護など人類共通の課題への対策を示す理念提唱型にかじを切った。課題は、情報技術の発達で、展示を見るために人が集う万博の存在意義は薄れたとも言われる。2000年のドイツ・ハノーバー万博では、入場者数が当初予想の半分に届かず、大阪万博関係者は「会場でしかできない体験が成功の鍵」。 

【写真特集 1970大阪万博】

1970年当時の大阪万博会場=大阪府吹田市

【写真特集 1970大阪万博】

大阪万博 開会式のマスゲーム=1970(昭和45)年3月14日(1970年国内十大ニュース4)

【写真特集 1970大阪万博】

天井の大くす玉が割れ、紙吹雪と千羽鶴が舞う会場=1970(昭和45)年3月14日(大阪万博)

太陽の塔】大阪万博跡地を整備した万博記念公園(大阪府吹田市)にある高さ約70メートルの塔。鉄骨や鉄筋コンクリート造りで、総工費は約6億3千万円。万博開催中、テーマ館の「大屋根」を突き抜ける形で建てられていた。内部の生命の樹には原生生物や哺乳類といった生物模型が取り付けられている。外側に未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する「太陽の顔」、過去を象徴する「黒い太陽」という三つの顔を持ち、地下の展示スペースには「地底の太陽」が置かれた。

【写真特集 沖縄海洋博】

三菱重工広島造船所江波工場のドッグで完成、命名式が行われた沖縄海洋博「アクアポリス」。自重1万6千トン、高さ32メートル、長さ104メートル、幅100メートルと海洋構造物としては世界最大。広島湾で浮沈テストなどを行ったあと沖縄へ移送される=1975(昭和50)年2月17日、広島市

【写真特集 沖縄海洋博】

1975(昭和50)年7月19日、「海―その望ましい未来」をテーマに沖縄国際海洋博覧会が開幕した。本土復帰から3年を迎える沖縄の経済振興の狙いがあった。入場者は半年間で348万人と予想を大幅に下回った。

【写真特集 筑波の科学万博】

大勢の観客で賑わう芙蓉ロボットシアター=1985(昭和60)年3月4日、茨城県筑波の科学万博会場

【写真特集 筑波の科学万博】

北ゲートから続々と入場する招待者たち=1985(昭和60)年3月16日、茨城県筑波の科学万博会場

【写真特集 愛知万博】

1997年6月12日、2005年万博の日本開催が決まり、モナコの国際会議センター前で支持者と一緒に喜ぶ鈴木礼治愛知県知事(前列左から2人目)(AP=共同)

【写真特集 愛知万博】

1997年6月12日、モナコの博覧会国際事務局総会で日本が2005年の万博開催国に決まり拍手する小渕恵三政府代表(手前)(AP=共同)

【写真特集 愛知万博】

グリーンジャンボ宝くじの売り場で、愛きょうを振りまく愛知万博のマスコット「モリゾー」(左)と「キッコロ」(右)=2005年2月14日午前、東京・銀座

【写真特集 愛知万博】

代表撮影 愛知万博の開会式でお言葉を述べる天皇陛下=2005年3月24日午後、愛知万博長久手会場(代表撮影)

【写真特集 愛知万博】

ライトアップされた愛知万博長久手会場=2005年3月25日午後6時28分

【写真特集 愛知万博】

パビリオン入場のためできた行列=2005年3月25日午後、愛知万博長久手会場

そして2025年大阪万博へ・・・

2025大阪万博 夢洲(ゆめしま)】総面積約390ヘクタールの大阪湾の人工島で、2025年国際博覧会(万博)の会場予定地。かつて大阪府と大阪市が誘致を目指した08年五輪の選手村が造成されるはずだった土地で、五輪誘致に失敗した後、開発が停滞し広大な空き地が残され「負の遺産」とも呼ばれる。主に利用されているのはコンテナヤードや倉庫がある東側の一部。「将来開発地区」とされる約250ヘクタールでは、一部に大規模太陽光発電所(メガソーラー)があるものの、大部分が雑草に覆われている。JR大阪駅の南西約10キロで、市中心部と結ぶ地下鉄延伸工事も着手されたが五輪誘致の頓挫で中断され、道路と共用の海底トンネル「夢咲トンネル」は、鉄道部分が未完成のまま放置されている。松井一郎大阪府知事らは開発の再始動に向け、万博に加え、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致も推進している。

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