【写真特集】
2025年国際博覧会(万博)の開催地が55年ぶりに大阪市に決まった。1970年に続き、再び大阪での万博。誘致レースはロシア、アゼルバイジャンとの三つどもえとなり、BIE加盟国による投票の結果、日本は1回目の投票で1位となり、決選投票でロシアを破った。25年の万博は大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)内の155ヘクタールを会場とし、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに健康、医療に関する技術貢献を目指す計画となる。2800万人の来場を想定、2兆円の経済波及効果を見込む。
1970年大阪万博は覚えています。長蛇の列で「月の石」を見るのは断念しましたが、わくわくドキドキしながら各国パビリオンを回りました。三波春夫さんソングとともに、高度成長の「象徴」として歴史に刻まれた70年万博。次の大阪万博は何の象徴になるのでしょうか。70年の大阪万博から2005年の愛知万博までの軌跡を写真で振り返ります。(まとめ 共同通信=柴田友明)
※肩書、所属、所在地は撮影当時です。
【写真特集 1970大阪万博】
【万博】国際博覧会条約に基づき、パリの博覧会国際事務局(BIE)に承認された博覧会。ロンドンで1851年に初開催。各国が工業力を披露し合う国威発揚型の催しとして発展を続け、新たな発明品や建築物が人々を楽しませてきた。フランスは89年の万博でパリにエッフェル塔を建設、世界的な観光名所に。日本開催は1970年の大阪万博が最初。6421万人が来場し、米宇宙船が持ち帰った「月の石」や携帯電話の原点「ワイヤレステレホン」が話題になった。テーマソング「世界の国からこんにちは」、芸術家の故岡本太郎さんが制作した「太陽の塔」はともに強い印象を残した。前回の日本開催は2005年の愛知万博(愛・地球博)で、展示分野を絞った小規模な万博として1975年の沖縄国際海洋博、85年のつくば科学博もある。会場整備に伴う環境破壊を心配する声を背景にBIEは94年、環境保護など人類共通の課題への対策を示す理念提唱型にかじを切った。課題は、情報技術の発達で、展示を見るために人が集う万博の存在意義は薄れたとも言われる。2000年のドイツ・ハノーバー万博では、入場者数が当初予想の半分に届かず、大阪万博関係者は「会場でしかできない体験が成功の鍵」。
【写真特集 1970大阪万博】
【写真特集 1970大阪万博】
【写真特集 1970大阪万博】
【太陽の塔】大阪万博跡地を整備した万博記念公園(大阪府吹田市)にある高さ約70メートルの塔。鉄骨や鉄筋コンクリート造りで、総工費は約6億3千万円。万博開催中、テーマ館の「大屋根」を突き抜ける形で建てられていた。内部の生命の樹には原生生物や哺乳類といった生物模型が取り付けられている。外側に未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する「太陽の顔」、過去を象徴する「黒い太陽」という三つの顔を持ち、地下の展示スペースには「地底の太陽」が置かれた。
【写真特集 沖縄海洋博】
【写真特集 沖縄海洋博】
【写真特集 筑波の科学万博】
【写真特集 筑波の科学万博】
【写真特集 愛知万博】
【写真特集 愛知万博】
【写真特集 愛知万博】
【写真特集 愛知万博】
【写真特集 愛知万博】
【写真特集 愛知万博】
そして2025年大阪万博へ・・・
【2025大阪万博 夢洲(ゆめしま)】総面積約390ヘクタールの大阪湾の人工島で、2025年国際博覧会(万博)の会場予定地。かつて大阪府と大阪市が誘致を目指した08年五輪の選手村が造成されるはずだった土地で、五輪誘致に失敗した後、開発が停滞し広大な空き地が残され「負の遺産」とも呼ばれる。主に利用されているのはコンテナヤードや倉庫がある東側の一部。「将来開発地区」とされる約250ヘクタールでは、一部に大規模太陽光発電所(メガソーラー)があるものの、大部分が雑草に覆われている。JR大阪駅の南西約10キロで、市中心部と結ぶ地下鉄延伸工事も着手されたが五輪誘致の頓挫で中断され、道路と共用の海底トンネル「夢咲トンネル」は、鉄道部分が未完成のまま放置されている。松井一郎大阪府知事らは開発の再始動に向け、万博に加え、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致も推進している。