介護で心身は限界に 苦悩重ねた女性 頼ることで自分取り戻す

 社会の高齢化が進む中、介護疲れを背景とした家族内の殺人や虐待が全国で後を絶たない。長崎県内でもここ数年、介護に疲れた末に高齢夫婦が無理心中を図ったとみられる事件が複数起きている。支える側が追い詰められないためには、介護とどう向き合うべきか。過去に限界を感じて苦悩した介護経験者に話を聞いた。

 長崎県西彼時津町の女性(43)は約7年間、ほぼ一人で義母の介護を続けてきた。

 22歳の時、一回り以上、年の離れた男性と結婚し、夫の両親との同居が始まった。70代後半の義母は、茶の濃さなど細かなことも注意する厳しい人だった。

 異変を感じたのは、義母が80代半ばの時。同じ話を繰り返し、「ニワトリがいるから部屋が散らかる」など突拍子もないことを口にするようになった。脳神経外科で検査すると、「アルツハイマー型認知症」と診断された。「デイサービスに通わせればいいか」。女性は軽く受け止めたが、医師は表情一つ変えず、こう告げた。

 「これからが大変です」

 ■徘徊は朝昼晩

 煮物にたい焼きを入れたり、ガスこんろに電気ポットを置いて火を付けたりと、次第に異常な行動が出始めた。連日、「財布がない」と家の中を探し回り、いつしか女性を「泥棒」呼ばわり。認知症と分かっていても女性の心は疲弊した。

 診断から4年が過ぎ、義母の徘徊(はいかい)回数は増えた。朝昼晩、時間に関係なく家を出て行った。毎朝の日課は義母のベッドの周囲に散らかった排せつ物の処理。デイサービスに通わせてはいたが、女性の心が休まる時間はない。いつ何時も、介護が優先の生活に「本当の自分」を失っていった。

 心身ともに限界が近づいていた、そんな時、「認知症の人と家族の会」を知り、集いに参加した。介護の苦悩を打ち明けると、親身になって聞いてくれた。共感してもらえると肩の力がふっと抜けた。「この会がなければ、私はとっくにつぶれていた」。定期的に集いで愚痴をこぼしながら、毎日を何とか乗り越えた。

 それでも、日を追うごとに医師の言葉の意味を痛感していくことになる。

 ある夜、疲れ切った女性が布団に入って休んでいると、義母の部屋から何度もくしゃみが聞こえてきた。部屋の中の様子は容易に想像できた。「放っておいたら風邪をこじらせ、入院すれば楽になれる。自由だ」。目をつぶり、耳をふさいだ。罪悪感と闘った時間は長く感じたが、わずか5分だった。

 窓が全開になった部屋で肌着1枚を身にまとった義母。「寒かとよ」とにこにこしていた。手を握ると氷のように冷たかった。ベッドに寝かせ、布団を掛けてあげると、「ぬっかね」と幸せそうな表情を浮かべた。申し訳なさで胸が苦しくなった。

 ■本当の家族に

 在宅介護は限界、いや、まだできる-。そのはざまで揺れていた、そんなある日の土曜日の朝だった。

 徘徊する気配はなく、久しぶりに平穏な時間が訪れていた。だが、紙に買い物リストを書いている時、ごそごそと物音が聞こえてきた。「もう嫌」。無意識にペンで自分の腕を何度も刺していた。「お母さん」。隣にいた息子に止められた。玄関には靴をはき始めている義母。泣きながら付き添った。にこにこしながら歩く義母の隣で涙が止まらなかった。

 「もう無理。私は一切、やりたくない」。その夜、夫に伝え、施設に入れることを決めた。

 女性は自身の介護経験をこう振り返る。「一人で抱え込んでしまえば、どこかで心身ともに耐えられなくなってしまう。つぶれる前に公共のサービスや施設など、頼れるものは恥ずかしがらずに頼っていい。私の場合、家族の会と出会い、苦しみに共感してもらえたことも大きかった」

 98歳の義母は今、長崎市の特別養護老人ホームでゆっくりと日々を過ごしている。女性は介護の荷が下り「本当の自分」を取り戻した。「穏やかな気持ちで義母に向き合え、今はいとおしい。離れたことで『本当の家族』になれたのかもしれないです」

一人で抱え込み、心身ともに疲れ果てる人も少なくない介護生活。苦悩に共感してくれる存在も必要だ(写真はイメージ)

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