仕事は「優良助っ人」発掘 Field of Dreams~ベースボールへの挑戦者たち Vol.2

By Yukiko Sumi

株式会社読売巨人軍 ニューヨーク事務所・所長(国際部所属)

塩川哲平さん(2/2)

 米国生まれの塩川さんは小学校1年から野球を始めた。高校ではワシントン州大会にも出場した実力の持ち主。大学から日本へ帰国し、卒業後会社員として働いていたころに野球界での仕事を志すようになった。きっかけは、野茂英雄氏のメジャー挑戦。野茂氏は1995年、当時所属していた近鉄バファローズと契約がまとまらずに任意引退となり、日本球界でプレーを続けることができなくなったため米国でのプレーを目指した。それを支え、31年ぶり2人目の日本人メジャーリーガー誕生を実現させたのが代理人の団野村氏だ。

 この両氏の「パイオニア精神に非常に感銘を受け」、塩川さんは住友商事を退職して渡米。すべてが白紙の状態から夢を追ってスタートし、2003年にドジャースの球団通訳の職を得ることに成功した。

 実は、退職した当初は代理人になりたかったという。当時、日本で活躍する代理人は少なく、米国移住が実現の可能性を高めてくれると感じたからだ。しかしドジャースで通訳を務めることになると、球団側の業務に惹かれフロントの編成部門で働くことが目標に。帰国子女の塩川さんは異文化の経験や理解があり、バイリンガル能力に加えてビジネスバックグラウンドもある。そして野球への情熱とプレー経験もある。さらに日米合わせて10シーズンに渡るプロ野球球団での通訳経験によって、外国人選手の成功の秘訣を把握していた。自分の能力を活かすにはスカウトが最適だと考えたのは、自然なことだったと言えるだろう。

 野茂氏の通訳時代、仕事に悩む塩川さんは印象に残ることばをもらった。「信念を持って仕事に取り組み、自分の武器で勝負しなければならない。競争相手を打破する気持ちが重要だ」。今でも悩んだときは、この熱いことばを思い出すことがモチベーションになる。

 今後は「巨人軍に『優良外国人選手』を安定供給を目指すが、入社したころから巨人は外国人選手のスカウティングが下手だと世間から言われ続けてきた。球団に所属する人間としてとても悔しく、優良外国人を獲得する難しさは知っていたし、何とかこの世論を変えたかった。いつか『巨人は外国人選手獲得が上手』と言われるように才能を発掘し続け、スコット・マシソン選手やウォーレン・クロマティ選手のように何年も巨人軍でプレーし続けてくれる選手を発掘したい」。

 自身の能力と可能性を客観的に見つめる確かな判断力、人生で培ってきたものへの自負とそれを通じて身についた自信。これらが道を切り拓いてきた過去を支え、未来を築き上げていく力となっている。

■Teppei Shiokawa

13年の海外生活を経て、大学入学のため日本へ帰国。青山学院大学国際政治経済学部卒業後は株式会社住友商事に就職したが、1995年の野茂英雄氏メジャー挑戦に刺激を受け退社を決意、渡米するとLAドジャースで通訳を務めた。その後は福岡ソフトバンクホークス、読売巨人軍で通訳として活躍し、2015年からは同社ニューヨーク事務所所長に就任。主に米国スカウティングオペレーション統括及び渉外担当(外国人選手契約業務)として活動している。

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