日の丸の重み知る日系二世 Field of Dreams~ベースボールへの挑戦者たち Vol.3

By Yukiko Sumi

シアトル・マリナーズ野球事業部/ 太平洋リエゾン、リプレーコーディネーター

鈴木アントニーさん(1/2)

 「米国での活躍を目指す日本人選手は多いけれど、実際にプレーして実績を残せるのはほんの一部という現実があります。自分のバックグラウンドと語学力を生かして、米国へ来る選手を助けたい」と、シアトル・マリナーズで働く鈴木アントニーさんは話す。自身もプロ野球選手になりたくて16歳で生まれ育ったハワイを離れ、単身日本へ野球留学した経験を持つ。プロ野球選手の夢はかなわなかったが、それなら夢を追う人をサポートしようと思った。

 大学を卒業後、5年半勤務したスポーツ関連の企業での人脈が新たな目標のかけ橋となった。社長がサンディエゴ・パドレスへ移籍が決まった大塚晶文氏と知人だったため、その通訳を務めることになったのだ。ここからアントニーさんのMLBでの挑戦が始まった。2006年には城島健司、イチロー両氏の通訳としてシアトル・マリナーズに〝移籍〝。以来、シーズン中は通訳、オフシーズンは野球事業部のチーム編成の仕事という生活を送っていた。

16歳で単身日本へ野球留学したアントニーさん(左)。通訳のほか、インスタントリプレーも担当する。マリナーズではすでに13年目に突入し、球団からの信頼は厚い

 シアトル13年目の今年、新たな役割が与えられた。アドミニストレーションコーチの1塁コーチコンバートにともない、その穴埋めをするようになった。監督のマネジャーのような仕事をし、選手とコーチの間に入り、ラインナップを発表したり、コーチ陣のアドミニストレーションをしている。また、通訳もするが、試合中は4年前から導入されているインスタントリプレー(ビデオ判定)も担当。チャレンジの有無やタイミングが勝敗を左右することもある。

■Antony Suzuki 
ハワイで生まれ、小学校から野球を始める。16歳のとき、野球のために単身での来日を決意し、暁星国際高校へ編入。野球推薦で駒沢大学へ入学しプロ野球選手を目指したがかなわず、スポーツ関連企業に就職した。5年半の勤務後、再び米国へ。2005年からサンディエゴ・パドレスで通訳を務め、2006年からはシアトル・マリナーズにて日本人選手の通訳および野球事業部のチーム編成業務/スカウトに携わっている。これまでに大塚晶文、城島健司、イチロー、岩隈久志、川崎宗則、青木宣親と、投補内外全ポジションの選手の通訳という貴重な経験をしている。

© Weekly LALALA, LLC