「ITデータコラム」五輪改革の影響で消える競技も

セーリング「フィン級」は20年東京まで

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フィン級 帆走する日本フィン級(J―16・山田貴司)=1964(昭和39)年10月21日、江の島

 スポーツ選手にとって、究極の夢。それはオリンピックでプレーすることだろう。それゆえ、五輪の舞台を夢見て汗を流す選手たちにとって、最大の「悪夢」は自分が長年やり続けてきたスポーツが五輪の実施種目から除外されてしまい、五輪への道が断たれてしまうことに違いない。

 セーリングの国際統括団体「ワールドセーリング」は11月上旬に米フロリダ州サラソタで開催した年次総会で、2024年パリ五輪のセーリング競技で実施する10種目を決めた。その結果、歴史と伝統を誇る「フィン級」が除外されることになった。

 フィン級で使用するのは、全長4メートル50センチの1人乗りディンギー。1949年にスウェーデンで開発されると、3年後の52年ヘルシンキ・オリンピックから採用された。以来、五輪におけるセーリング競技の中で最も長い歴史を重ねてきた。その歴史の中で多くの名セーラーも生み出してきたフィン級だったが、18度目の五輪となる2020年東京五輪を最後に五輪の舞台から退場する。

 フィン級が初登場した1952年ヘルシンキ五輪は、第2次世界大戦に敗れた日本が五輪に復帰した記念すべき大会でもある。フィン級にも海徳敬次郎選手が参加。28艇中27位に終わったが、これには理由がある。

 前述のように、フィン級はヘルシンキ五輪の3年前に開発された。そのため、当時の日本では1艇もなかったのだ。日本ヨット協会(現日本セーリング連盟)も設計図を取り寄せるのがやっとだった。フィン級はメインセールだけの1枚帆。そこで、代表選考レースでは「シーホース級」という2枚帆のディンギーからジブセールを外し、メインセールだけの1枚帆にしたものに乗って、各選手が競ったのだ。ちなみにジブセールとはマストの前にある三角形をした帆のこと。

 海徳選手がヘルシンキで初めてフィン級に乗り、セーリングしたのは、レースのわずか6日前だった。これでは、フィン級に乗り慣れた欧米の選手と互角に戦えるはずもなかった。

 後にアメリカズカップで活躍することになるラッセル・クーツ(ニュージーランド)やジョン・バートランド(オーストラリア)など著名なセーラーを輩出したフィン級だが、最大のスターは52年ヘルシンキ五輪から3連覇を果たしたポール・エルブストローム(デンマーク)だろう。フィン級導入前の48年ロンドン五輪では、同じ1人乗りの「ファイアフライ級」で金メダルを獲得。五輪4大会連続金メダルを獲得して「ヨットの神様」として名をはせた。

 東京オリンピック前年の63年、エルブストロームは日本ヨット協会の招きで来日。強化合宿で日本の代表候補選手たちを指導した。その中の1人が、若き日の庄崎義雄・日本フィン協会会長だった。

 庄崎会長はフィン級のオリンピック種目除外に「残念なことだ。一人乗りディンギーのトップクラス艇として、長くオリンピックでも採用されてきた。18回のオリンピックで実施され、これだけ長く続けられてきた艇種だから、残念なことだ」と落胆を隠さない。

 庄崎会長によると、国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ前会長もベルギーのフィン級代表だった。「男女平等や放映権料など、IOCの事情もあるのかもしれないが、寂しいことだ。ロゲ氏が今も会長だったら、違った結果になったかもしれない」と悔やんだ。

 今回の年次総会では、2020年東京五輪で日本選手のメダル獲得が期待される男女の470級が24年のパリ五輪では、同じ方式では開催されないことが確定した。東京までは男女それぞれに分かれ470級でメダルを争うものの、パリでは男女混合2人乗りディンギー種目を実施することになる。艇種は今後決まるため、470級が採用される可能性は残ったが、いずれにしてもパリでは男女がペアを組んでレースすることになった。

 また、フィン級に代わって、「男女混合2人乗り外洋キールボート」が種目に採用されたほか、日本ではそれほど普及していない「カイトボード」の採用も決まった。カイトボードはパラシュートのようなセールで風から推進力を得て、水中翼付きのボードで争うものだ。

 こうした艇種の導入は「男女平等を推し進め、若い世代に人気がある種目を採用すべき」というIOCの要求に、ワールドセーリングが応えた結果だといえる。

 山崎 恵司(やまざき・えいじ)のプロフィル 1955年生まれ。79年に共同通信運動部に入り、プロ野球を中心に各種スポーツを取材。93年からニューヨーク支局で野茂英雄の大リーグデビューなどを取材。帰国後、福岡支社運動部長、スポーツデータ部長などを務め、現在はオリンピック・パラリンピック室委員。