目玉は今も「海軍」

「この世界の片隅に」の街を歩く

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江刺昭子

女性史研究者

江刺昭子

女性史研究者

えさし・あきこ 広島市出身、早大卒。原爆作家・大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」で田村俊子賞。著書に「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち」「樺美智子 聖少女伝説」など多数。

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旧日本海軍の戦艦「大和」

 晩秋の3日間、読書グループの仲間たちと、広島県呉市、江田島市、広島市を歩いた。

 まず、JR呉線で呉市に入った。呉線は今夏の西日本豪雨による山崩れの痛々しい跡が残っていた。(女性史研究者・江刺昭子)

 呉は昨年、ヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」の舞台になった街である。戦争末期に結婚して広島市からきた18歳のすずさん。絵を描くのが好きな、どこにでもいそうなヒロインの日常が柔らかなタッチで描かれていて共感を呼んだ。

 山に囲まれた街は、山の向こうから飛んできたB29による数度の爆撃で、ずたずたにされた。手をつないでいた姪が死に、すずさんも片手を失う。物資が欠乏して不自由だが平凡な日々の営みが、一瞬にして吹き飛ぶ。それが戦争だと、片渕須直監督は訴えたかったようだ。

 瀬戸内海の小さな漁村だった呉は、明治時代に海軍により軍港都市に変貌した。海軍工廠では多くの艦艇が建造された。最大にして最強をうたわれた「大和」も、太平洋戦争前にここで造られ、進水している。

 すずさんが自宅近くの畑で晩御飯の野草を摘みながら、「大和」を遠望するシーンがある。厳重な囲いで覆われ秘密裡に建造された「大和」を見ることができたのは高台だけである。その巨大戦艦は1945年4月、十代の少年兵多数を含む3300人余の兵隊を乗せて沖縄に向かって特攻出撃し、途中で撃沈された。生き残ったのは1割に満たなかった。

 戦争末期の呉には、艦船の乗組員や徴用工員を合わせると、45万人ぐらいいたとされる。隣の広島市をしのぐ。73年後の今、当時の呉市域に住む人は14万人台に減り、繁栄しているとは言い難い。

 しかし、かつての軍事拠点は海上自衛隊呉基地になり、呉鎮守府が建設したインフラの多くも現役で活用されている。自衛隊総員6600人が勤務しているそうだ。

 観光の目玉も「海軍」である。呉駅近くの海沿いには巨大な大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)がある。文化庁認定の「日本遺産」だ。戦艦大和の10分の1模型が展示されている。

 全長26・3㍍もある鉄の塊。「大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいます」と説明にあり、東洋一の造船技術を誇るくだりは詳しい。だが、虚しく死んだ3000人余の兵隊の姿には迫らない。「平和の大切さ」というメッセージは響かなかった。

 翌日、江田島市の海上自衛隊第一術科学校内にある教育参考館を訪ねた。明治時代からの海軍軍人の功績を讃える資料館である。勲章をいっぱいぶらさげた将官たちの写真を見上げながらガイドの自衛官が言う。「旧制中学校の1番、2番は海軍兵学校へ、3番、4番が東大や京大へ行った」。そうなのか、アタマのよすぎる人が集まったから、無謀な戦争をしたのかもしれない。妙に得心した。

 「大和ミュージアム」の隣りの「てつのくじら館」(海上自衛隊呉史料館)は、除籍した実物潜水艦「あきしお」の陸上展示。内部は海上自衛隊の歴史や掃海艇の活躍などを紹介し、「あきしおカレー」や「魚雷ワッフル」を販売している。町中の30軒近いレストランや飲食店もそれぞれ独自の「海軍カレー」を売りにする。「自衛隊員割引」の看板が目立つ。この街は昔も今も軍港都市なのだ。

 すずさんは架空の人物だが、生きていたら92歳になる。「この街の今」を見て何を思うだろうか。

 アニメ映画「この世界の片隅に」の原作者こうの史代は1968年、広島生まれの戦争も原爆も知らない世代だ。ヒロシマを素材とするよう編集者に勧められ、2004年に漫画『夕凪の街 桜の国』を刊行、ブレークした。被爆者と被爆二世、三世の日常を描いた作品は、各国語に翻訳されてもいる。

 前半の「夕凪の街」のヒロインは、被爆10年後の広島の「原爆スラム」と呼ばれた集落で育った被爆者。タイトルも物語の舞台も、55年前に亡くなった原爆作家大田洋子のルポルタージュ『夕凪の街と人と』にインスパイアされた作品である。

 大田の原爆文学がこのような形で継承されていることを、大田に伝えたい。その思いを抱えて、広島市に向かった。=この項続く