ビジャで11人目!「Jリーグでプレーした元バルセロナの10選手」

ヴィッセル神戸は1日、元スペイン代表FWダビド・ビジャの獲得を発表した。

ビジャといえば2010年ワールドカップで得点王に輝きスペイン代表を優勝へと導いているが、バルセロナ時代にはメッシらとプレーし2010-11シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ制覇を経験している。

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そこで今回は、「バルセロナでプレーした経験を持つJリーガー」を特集してみよう。

※カンテラ出身者は除く

アンドレス・イニエスタ

2002-2018 バルセロナ
2018~ ヴィッセル神戸(J1:14試合3得点)

まずは、今夏ヴィッセル神戸へ電撃的に加入したイニエスタだ。

今季はケガもあり14試合出場で3ゴールにとどまったが、元同僚であり友人でもあるビジャが加わる来季はその本領を発揮してくれるだろうか。

フリオ・サリナス

1988-1994 バルセロナ
1997-1998 横浜マリノス(J1:47試合34得点、カップ:8試合4得点)

「ドリームチーム」の一員で、スペイン代表としてワールドカップに3度も出場したスター選手。

1997年、同じバスク人であるハビエル・アスカルゴルタの誘いで横浜マリノスに加入すると、8試合連続ゴールという現在まで破られていないJリーグ記録を樹立した。

トーマス(アルベルト・トマス)

1990-1993 バルセロナ
1998 ヴィッセル神戸(J1:17試合1得点、カップ:3試合1得点)

黄金期のバルセロナでデビューしたセンターバック。ベニト・フローロの誘いで1998年7月から半年間ヴィッセル神戸でプレーした。

J2導入に合わせて実施された札幌とのJ1参入決定戦・第2戦では、コーナーキックから高い打点のヘディングで先制弾を決め、“初代”残留に貢献している。

リチャード・ビチュヘ

1991-1993 バルセロナ
2004 大分トリニータ(J1:9試合0得点、カップ:3試合0得点)

アヤックス、バルセロナ、ボルドーなどで活躍した左利きのMF。オランダ代表として1990年ワールドカップ、96年欧州選手権に出場した。

2004年にオランダ人ハン・ベルガーが監督を務める大分に移籍したが、9試合の出場に止まり退団後に引退している。

アイトール・ベギリスタイン

1988-1995 バルセロナ
1997-1999 浦和レッズ(J1:61試合16得点、カップ:10試合3得点)

クライフの「ドリームチーム」で“左の翼”を担った小柄なアタッカー。32歳の時に浦和レッズへ加入し、原博実監督のもとでプレーした。愛称はチキ。

引退後はバルセロナのフロントとして辣腕をふるい、当時低迷していたクラブの再興に尽力。現在はマンチェスター・シティのディレクターを務めている。

ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア

1988-1994 バルセロナ
1998 横浜マリノス(J1:23試合0得点、カップ:3試合0得点)

スペイン代表として1994年ワールドカップに出場したアタッカー。自慢の脚力と切り返しを武器にクライフの「ドリームチーム」で右サイドを担った。

1997年、ハビエル・アスカルゴルタが監督を務める横浜マリノスに加入し、バルサ時代の同僚だったサリナスと再会した。

ミカエル・ラウドルップ

1989-1994 バルセロナ
1996-1997 ヴィッセル神戸(J1:3試合0得点、カップ:6試合1得点)

1980-90年代の欧州フットボール界を代表する選手で、ユヴェントス、バルセロナ、レアル・マドリーに所属した経歴をもつ世界的スター。

1996年、当時JFLの神戸に鳴り物入りで加入しJ参入に貢献したが、肝心のJでは怪我もあって3試合の出場に止まった。

パブロ(パブロ・マケーダ)

1991-1993 バルセロナ
1997-1998 アビスパ福岡(J1:17試合3得点、カップ:2試合0得点)

バルセロナ下部組織出身のアタッカー。黄金期のトップチームではほとんど出番を得られなかったが、オビエド、マジョルカで活躍し、1997-98年にはアビスパ福岡でプレーした。

一般的には「マケーダ」で知られるが、日本では響きが良くないとして「パブロ」で登録されている。

フリスト・ストイチコフ

1990-1995,1996-1998 バルセロナ
1998-1999 柏レイソル(J1:27試合12得点、カップ:1試合1得点)

バルセロナに悲願のCL初制覇をもたらしたブルガリアのスーパースター。1994年のアメリカW杯では大会得点王の活躍で母国を4位に導き、同年のバロンドールを受賞した。

柏に加入した時は既にキャリアの晩年であったが、世界レベルの左足を存分に披露している。

ギャリー・リネカー

1986-1989 バルセロナ
1993-1994 名古屋グランパスエイト(J1:18試合4得点、カップ:6試合4得点)

1986年ワールドカップで得点王に輝いた英国史上屈指のゴール製造機。最晩年には黎明期のJリーグでプレーし、“顔”と“名前”で彩りを添えた。

近年あまり語られないが彼はバルセロナが黄金期を迎える直前の1980年代に所属しており、初年度に22得点を記録している。

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