「カネカも救済の輪に」 兵庫・高砂でPCBを考える集会 工場前でアピールも

 1968年に発覚したカネミ油症事件と油症の原因物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)について考える集会が1日、PCBを製造していたカネカ高砂工業所がある兵庫県高砂市であった。長崎県などの被害者らは同工業所前で救済の枠組みに加わるようアピール。同市文化保健センターでは、油症被害の深刻さやカネカの責任について考えた。

 「カネミ油症事件から50年~いまPCB処理はどうなっているのか、そして油症被害者は」と題し、全国13の被害者団体、カネミ油症被害者支援センター(YSC)、高砂共催市民の会が共催。約70人が参加した。

 油症はカネミ倉庫(北九州市)が食用米ぬか油を製造中、熱媒体のカネカ製PCBが混入、販売し発生。民事訴訟で敗訴が確定したカネミ倉庫は患者の医療費などを負担しているが、カネカは救済の枠組みに入っていない。

 集会で、YSC共同代表の大久保貞利さん(69)は、「カネカとは裁判で和解が成立し法的責任を問うのは難しいが、PCB製造企業として道義的責任がある」と指摘。日台油症情報センター長の藤原寿和さん(71)は、現在全国で進むPCB無害化処理の費用の大半を国や都道府県が負担し、PCB製造会社の負担はわずかである点を問題視。「油症被害者への責任を果たさず、製造者としての処理責任も不問に付していいのか」と疑問を呈した。

 全国から集まった被害者7人も体験を語った。カネミ油症被害者福岡地区の会事務局長で油症2世の三苫哲也さん(48)は、先天性の心臓疾患を抱えて生まれ、目まいや幻聴、消化器系の病気などに苦しんだ体験を証言。集会に先立ち見学した高砂工業所について「初めて工場を見て、ここで製造したPCBが自分の体に入ったと思うと、憤りを感じた」と語った。長崎県の油症2世の男性は、救済運動を進める決意を述べた。

 最後に、カネカに対して「被害者救済の輪に加わり、これからの安心安全な社会を次世代に引き継ぐため何をすべきだったか、これから何をすべきかを一緒に考えていきたい」などと求める声明を採択した。

カネミ油症の被害者7人が半世紀の苦悩などについて語った集会=兵庫県、高砂市文化保健センター
カネカ高砂工業所の正門前で「被害者と共に未来を拓こう!」と記されたプラカードなどを掲げ、カネミ油症被害者の救済やPCB処理の現状について対話に応じるよう求める被害者ら=兵庫県高砂市

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