シベリア抑留を経験・田中さん 故郷長崎で講演 「英知が一筋の光だった」

 旧ソ連のシベリア抑留を経験し、現在は音楽を通して日ロ交流に取り組む田中猛さん(92)=ロシア・ハバロフスク地方在住=が1日、故郷の長崎市で講演し、抑留生活については「人には愚かさと英知が共存すると知った。英知こそが一筋の光だった」と語った。

 田中さんは長崎市橋口町出身で長崎工業学校を卒業して旧満州(中国東北部)に渡った。1945年5月に旧日本軍の関東軍へ入隊後に終戦を迎え、4カ所の収容所で計4年間の抑留を強いられた。1949年に帰国後、1994年に再び同地方を訪れ、現地で日本語教師などを務めながら、現在も暮らしている。

 講演は長崎日ロ協会が主催。長崎市民や長崎在住のロシア人ら約60人が聴講した。田中さんは電子楽器「スピーロン」を演奏し、抑留時代に仲間と作った「ドーフ小曲」などを披露。「抑留中も音楽が心を一つにし、勇気を与えてくれた」と振り返った。長崎については「これほど素晴らしい表情を持つ町は他にない。古里が意識から消えることはない」と思いを語った。

 講演後の取材に対しては「人の付き合いは長所も短所も認め合わないと始まらない。日ロの交流も互いに尊敬する気持ちが大切だ」と話した。

幼少時代の写真を示して語る田中さん=長崎県長崎市松が枝町、旧香港上海銀行長崎支店記念館

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