陸上一筋から拳一筋に ロサンゼルスで暮らす人々-vol.766

By Yukiko Sumi

宮田 有理子 |Yuriko Miyata ボクシングライター

 中学から大学まで陸上一筋だった宮田有理子さん。「陸上競技マガジンをつくる人になりたい」と思っていた。大学卒業後、ベースボールマガジン社に入社。2年目に念願の陸上競技マガジン編集部に異動した。ところが現在はLA在住のボクシングライター。入社3年目にボクシングマガジン編集部へ異動となったのである。陸上からボクシングというあまりにも違う競技への転換。しかし「あまりにも知らなすぎて興味がわいた」と、当時を振り返る。

2016年からLAで暮らし、ボクシングライターとして活動する宮田有理子さん。全米をまたいで取材に駆け回る

 ボクシング初仕事は世界戦の物販手伝いだった。唯一観戦できたメインの試合で、リング上で繰り広げられる一対一の戦いの緊迫感に圧倒された。ボクシングの知識はまったくなかったが、会社がボクシングのメッカ、後楽園ホールのすぐ近くだったため、4回戦からメインまで観戦を重ね、自然に見る目は養われていった。「スポーツは人生の教科書。ボクサーは〝戦い〟の中で色々なことを教えてくれる。体格的に恵まれなくても飛びぬけた才能がなくても、己を知ることで自分にできる戦い方を手に入れられることも選手に教わった」。プロアマ問わず取材し、海外の試合のページも担当するようになると「アメリカのボクシングを見たい」と思い始めた。

 フリーになった翌年の2004年、知人を訪ねてLAにやってきた。すぐに留学しようと決めた。「カリフォルニア州は全米でダントツにボクシングの興行数が多い。それにLAののんびりした空気が性に合った」。カレッジに2年半通い、ボクシング関係者とのつながりもできた。卒業後は日本へいったん戻ったが、「スポーツはボーダーレスだから日本にいる必要はない」と、2016年にLAへ完全移住した。「米国は各国の選手が本場のビッグチャンスを手に入れようとアンダードッグとしてリングに上がる。マニー・パッキャオは、そこからアメリカンドリームをつかめることを証明しました。夢を求めてやってくる選手の純情な野心にもものすごく惹かれる」。試合前はブーイングを浴びていた無名の外国人選手が、リングを下りればヒーローになっている。そんな場面を目の当たりにし、ここは力があれば成功できる場所だと実感している。

審判団のアテンドなどもこなす。トニー・ウィークス主審と記念撮影

 ライターとして日本では20年近くの経験がある宮田さんにとっても、〝ことば〟で伝えることは時にとても難しい。「劇的なボクシングというスポーツのすばらしさを伝え、表現できる書き手になりたいと思いますが、はなはだ力不足で日々修行です。まだ米国では超がつく新参者」と、いまだ向上心は失っていない。「ボクシングがとにかく近くにあり、何歳になってもなんでも始められる」LAにこれからも住み続け、ボクシングを書き続ける。そして、いつか米国伝統のボクシング専門誌『The Ring』に日本のストーリーを書くのが夢であり目標だ。

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