楽天の創設期担った2013年V戦士 伊志嶺、枡田、聖澤の3人が現役に別れ

楽天・聖澤諒【写真:荒川祐史】

悲願の初優勝に貢献した女房役・伊志嶺

 楽天でプレーした伊志嶺忠、枡田慎太郎、聖澤諒の3人が、今季限りで現役を引退する。今オフの楽天は、実に17人もの選手に対して戦力外通告を行った。そのうち6人は育成契約を結んでチームにとどまるが、リーグ最下位に沈んだチーム内には確実に世代交代の波が押し寄せている。チーム創設初期から10年以上にわたって楽天一筋を貫き、球団史上初、そして現在まで唯一の日本一も経験した3人。ファンにとっては忘れがたい、彼らの歩みを振り返る。

 伊志嶺は、2007年の大学生・社会人ドラフト3巡目で楽天に入団。控え捕手の1人として陰からチームを支え、沖縄出身にちなんだ「シーサー」の愛称で親しまれた。

 チームが初のリーグ優勝を果たした2013年9月19日のソフトバンク戦では、五十嵐亮太から自身初のサヨナラ打を放ち、マジックを7に減らす。同23日の日本ハム戦では札幌ドームでプロ初本塁打を記録し、シーズン成績こそ19試合出場、打率.125ながら、随所で印象深い活躍を見せた。

 2015年には54試合3本塁打14打点、打率.241とキャリアハイの成績を収めたが、今年はプロ入り後初めて1軍での出場機会を得られず。オフに戦力外通告を受け、11年のプロ生活から退くことを決意した。

4番も任された古参の枡田、31歳の若さでユニホームを脱ぐ

 枡田は球団創設間もない2005年、高校生ドラフト4巡目で入団した。2012年に79試合出場で打率.295を記録して1軍定着の足掛かりをつかむと、翌13年の7月以降は故・星野仙一氏(当時監督)の期待に応えてブレーク。同期で同い年の銀次とともに、高卒生え抜きの“星野チルドレン”として東北の悲願を達成し、得点圏打率.364を叩き出した。

 しかし、翌年以降は調子の波の大きさが目立ち、定位置をつかめず。今年は打撃好調で4番に座る時期もあったが、最終的に打率.177。シーズン終了後に戦力外通告を受け、11月26日に31歳の若さで現役引退を発表した。

杜の都の韋駄天・聖澤、生え抜き野手初のタイトルホルダー

 聖澤は、2007年の大学生・社会人ドラフト4巡目で楽天に入団。俊足が売りで代走での出場が主だったが、2010年に135試合に出場すると、6本塁打43打点24盗塁、打率.290とバッティングでも存在感を示し、「1番・センター」定着を果たす。

 翌2011年はボールが飛ばない“統一球時代”ながら打率.288という成績を残し、前年の倍以上となる52盗塁を記録。ソフトバンクの本多雄一に阻まれて惜しくもタイトルは逃したが、翌12年には54盗塁とさらに数字を伸ばし、球団の生え抜き野手初タイトルとなる盗塁王を獲得。侍ジャパン候補にも選ばれるなど、リーグを代表する韋駄天として活躍を続けた。

 2013年にはスタメンを外れる時期もあったが、規定打席に到達して打率.284と安定感は変わらず。巨人との日本シリーズでは全7試合に出場して打率.471と打ちまくり、同年のリーグ優勝、日本一に大きな貢献を果たした。

 その後はケガや若手の台頭で出場機会を減らしたものの、2016年には94試合の出場で打率.294を記録し、17年は3・4月度の「スカパー!サヨナラ賞」を受賞するなど勝負強さを発揮。通算197盗塁は球団史上最多であり、不動のセンターとして残した「927回連続守備機会無失策」は日本プロ野球記録。走攻守において、記録にも記憶にも残る選手だった。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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