『FourFourTwo』は5日、「リヴァプールのオランダ代表DFフィルヒル・ファン・ダイクは、20歳の頃に病気で死の恐怖に直面していた」と報じた。
2011年にフローニンゲンでデビューしたファン・ダイク。2012-13シーズンにはレギュラーとして活躍し、評価を高めてセルティックへと引き抜かれている。
しかし彼は2012年に重い病気にかかり、緊急手術を余儀なくされていたという。虫垂炎の悪化、それによって引き起こされた腹膜炎と腎炎で、発見されたときには致命的な状況にまで進行していたとのこと。
フローニンゲンでリザーブチームの監督を務めていたディック・ルッキエン氏は以下のように話し、母親が気づいていなければ彼の命が危なかったと回願した。
ディック・ルッキエン(元フローニンゲンリザーブ監督) 「フィルヒルは病気になっていた。しかし、我々はその程度については全く分かっていなかったんだ。最初は風邪かインフルエンザかと思っていたんだ。
彼は数日間家にいたが、痛みが強かった。だから近くの病院に行ったが、何も見つからない。まだ家に戻されたんだ。
痛みはどんどんひどくなる。そして彼の母が故郷からやってきて、病状がどれだけ酷いのか気づいたんだ。
すぐに他の病院へと運んだ。それが決定的に重要だったよ。
ショックを受けたね。彼がクラブに戻ってきた時、あんなに大きな男が、痩せっぽちになっていたんだ。幸いにも、彼は非常に早く回復することが出来たが」
痛みに強すぎたゆえの悪化だったのだろうか。また、ファン・ダイク本人もかつてこのように話し、本当に死を覚悟していたと明かしている。
フィルヒル・ファン・ダイク 「ベッドに横たわっているときのことをまだ覚えているよ。見えるのは僕からぶら下がっているチューブだけ。体は壊れてしまって、何も出来なかった。
あの時は、最悪のシナリオが頭をよぎっていたよ。
人生が危機にさらされていた。母と僕は神様に祈りつつ、これから起こり得ることについて話していた。
あるときには、何枚もの紙にサインをしなければならなかった。遺言書のようなものにね。
もし死んでいたら、僕のお金の一部は母親に行くことになっていた。もちろん誰もそんなことについて話したがっていないが、我々はそうしなければならなかった。
一歩間違えば、あそこで終わっていたのかもしれないね」
先日は「肋骨が2本折れたまま」プレーしていたというフィルヒル・ファン・ダイク。痛みに強すぎたからこそ、虫垂炎も我慢しすぎてしまったのだろうか…。