鷹のドラ7は26歳の妻子持ちルーキー 単身赴任経てプロ入り「泣いて喜んでくれた」

入団会見に臨んだソフトバンクドラフト7位の奥村政稔【写真:藤浦一都】

最速154キロを誇る奥村「持ち味は投げっぷり」

 ソフトバンクは6日、福岡市内のホテルで新入団選手発表会見を行い、支配下7選手、育成4選手の計11選手の入団を発表した。11選手の中で最年長、26歳にしてプロへの道を切り開いたのが、ドラフト7位の奥村政稔投手。三菱日立パワーシステムズから、最速154キロの真っ直ぐを武器に、指名を勝ち取った遅咲きのルーキーだ。

 内川聖一や今宮健太、甲斐拓也らと同じ大分県出身の奥村。中津商高から九州国際大に進んだが、中退。その後、入社した三菱重工長崎は2016年を最後に休部に。統合された三菱日立パワーシステムズで2年間プレーし、ようやくプロへの扉を開いた。会見では「ホークスは地元の球団ですごく大好きだった。そういう球団のユニホームを着られて嬉しいです。持ち味は投げっぷり。ストレート、変化球というのは置いておいて、野球を見たことがない人でも『気持ちがいい」と言ってもらえるくらいの投げっぷりなので、ぜひ見てください」と語り、ユニホームに袖を通した喜びを語った。

 ドラフト7位の遅咲きルーキーだが、「ドラフトで上位だとか下位だとか、育成からとか、それは入ってしまえば一緒だと思っています。7位の人でも必死でやれば、活躍できると思っています」と強い覚悟を示す。それも、そのはず。奥村には支えていかなければならない人がいるのだ。

 26歳の奥村。すでに結婚し、2歳になる子どももいる。家族がいる中でも、子供の頃からの夢だったプロ野球選手になることを諦めなかった。三菱重工長崎野球部が休部となり、三菱日立パワーシステムズへの移籍に伴って横浜への引っ越しを余儀なくされた。

 当初は家族も一緒に横浜に移り、ともに暮らしていた。「僕1人の収入で養うのはキツくて。妻にも働いてもらおうとしたんですけど、横浜はなかなか保育園も見つからなかったんです」。やむなく、妻子は地元である大分へと戻り、奥村は単身赴任生活でプロの夢を追い続けた。

 周囲には厳しい声もあったという。「子どももいて、中にはそんなにまでしてやる魅力があるものなのか、単身赴任をしてまでやることなのか、と言われることもありました」。それでも、妻は応援してくれた。「全く反対することもなく応援してくれました」。別居生活を経て、ついに届いた朗報に家族は「泣いて喜んでくれました」という。

 ついにプロ野球選手としての一歩を踏み出した。原則、新人は全員、寮に入寮することになるが、既婚者は家族と暮らすことを許されている。ただ、奥村は「プロの流れというものが分からないので」と、まずは「HAWKS ベースボールパーク筑後」にある選手寮に入寮し「流れが分かってきたら、一緒に暮らそうと思っています」。26歳の子持ちルーキーは、家族のために、プロの世界でひと花咲かせることを目指す。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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