【熊本城のいま】平櫓に「下屋」倉庫に利用か

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解体準備が進む平櫓。膨らんだ石垣を押さえるための鉄骨の構台(右)が組み上げられている=今月4日撮影
傾いた平櫓の南側。右側に見えるのが下屋(2018年3月29日撮影)

 県伝統工芸館の向かいに見える国重要文化財の平櫓[ひらやぐら]の解体準備が進んでいる。熊本地震の影響で、平櫓を支えている高さ約19メートルの石垣の一部が大きく膨らみ、建造物は傾いた。熊本市は、倒壊の恐れがある建物のひとつとしている。

 市の熊本城総合事務所によると、現在は建物を安全に解体するため、地面から鉄骨の構台を組み上げて、石垣の膨らみを押さえる作業を進めている。この工事は本年度いっぱい続き、櫓は2019年の夏から冬にかけて解体する予定。

 木造平屋の平櫓は天守閣の北東に位置し、「本丸」エリアにある。本丸は熊本城で最初に完成した区画だ。熊本城調査研究センターによると、平櫓の石垣と建物が造られたのは1599(慶長4)~1607年ごろ。この高い石垣は宇土櫓を支える石垣と同様に、解体・修理されたことがなく、加藤清正が築いた「オリジナルの石垣」と考えられている。

 平櫓を眺めると、石垣の端から出っ張っているのが分かる。立面図では、石垣に対して建物が85センチほどはみ出している。「そこは『石落とし』がある部分」とセンターの鶴嶋俊彦さん。石落としとは、石垣を登ってくる敵兵に向かって上から直接攻撃する空間だという。また城域の内側に面している南側を除き、ほかの3方向には「狭間[さま]」という長方形の小窓がいくつも設けられ、敵兵に弓や銃口を向けられる造りになっている。鶴嶋さんは「そばには不開門[あかずのもん]がある。平櫓はまさに防御のための櫓なんです」と説明する。

 ほかの櫓も同じような作りを備えているが、平櫓で目立つのは「下屋[げや]」があることだ。南側の屋根の下から、別に約4・2メートルの長い屋根が取り付けられている。下屋は作業スペースをつくり出すもので、平櫓が完成した後に取り付けられたとみられる。鶴嶋さんは「江戸時代になって平和な世の中になり、平櫓は防御施設というよりも倉庫などとして使ったのではないか」と推測する。(飛松佐和子)

(2018年12月7日付 熊本日日新聞朝刊掲載)