「シーズン中の監督交代で立場が激変したJリーガー」

リーグ戦の全ての日程を消化したJリーグ。

今シーズンは成績不振に喘いだ5つのクラブがシーズン中の監督交代に踏み切った。

海外の日本代表最新情報、Jリーグ超ゴールはこちら

監督を代えるということは、チームのスタイルも多少変わってくるものである。それにより、フォーメーションや求められる人材が変わり、それまでの序列も覆り、競争が一から始まる。

今回は、今シーズン中の監督交代によって立場が大きく変わった選手を取り上げる。

瀬川祐輔(柏レイソル)

瀬川は今シーズン、柏レイソルが行った積極補強のうちの1人として大宮アルディージャから加入した。

彼はルーキーイヤーの2016年にJ2・ザスパクサツ群馬で2桁ゴールを達成しており、当時から柏の獲得候補者のリストに入っていた選手だ。

それだけに期待も大きかったのだが、前線に実力者が揃う柏ではシーズン序盤からなかなか出場機会を掴めず。下平隆宏監督体制ではリーグ戦で先発がわずか2試合にとどまり、監督交代直後もベンチを温める日々が続いた。

しかし第20節のコンサドーレ札幌戦から立場を一変させる。この試合で先発した彼は、先制ゴールを含むシュートを6本も放ちチームを勝利へと導くと、その後は1試合を除き全ての試合でスタメン起用され、後半戦だけで9ゴールをマークしたのである。

チームでは2年連続で降格を経験したが個人としては成長を見せた。そんな鋭い得点感覚を備える快速ストライカーを欲するJ1クラブは多そうだ。

伊野波雅彦(ヴィッセル神戸)

日本有数のユーティリティDFは今季は序盤、センターバックや右サイドバックで数試合に起用されるも、当時監督の吉田孝之の信頼を掴めず。

次第に出場機会を失っていき、ベンチからも外れることとなったが、ファンマ・リージョの就労環境が整い、正式に監督として指揮を執るようになると、全試合で出場機会を得た。

驚きなのがその起用ポジションで、それまでの最終ラインではなく、インサイドハーフとして新境地を開いたのである。

運動量の少ないルーカス・ポドルスキの背後で動き回り、攻撃と守備の両面でダイナミズムを投入。コンディションに問題を抱えスプリントを控えるアンドレス・イニエスタの隣で広範囲かつ的確なカバーリングを披露し、終盤戦は不可欠な存在としてチームの残留に貢献した。

33歳の今なお成長を止めない、若手のお手本のような選手である。

橋岡大樹(浦和レッズ)

U-19代表のDFリーダーも今季はユースからの昇格初年度であり、J1有数の選手層を誇る浦和レッズで出番を得るのは難しいかと思われた。

しかし、堀孝史監督の解任で大槻毅育成ダイレクター(当時)がトップチームの指揮を執るようになると、大槻氏は浦和ユースでの教え子である橋岡を大胆起用。

ヴィッセル神戸戦でリーグ戦デビューを飾ると、後任のオズワルド・オリヴェイラ監督の信頼も掴み、その後ほぼ全ての試合でスタメン出場を果たした。

ユース時代はセンターバックでプレーしていたが、チームの先輩であり目標でもある槙野智章のようにサイドバックもできるような選手になるため、サイドでの練習も欠かさなかった。その努力が実り、ウイングバックという慣れないポジションにも順応し、望外な出場機会を得た。

東京オリンピックを目指す年代別の代表ではセンターバックを務めるが、「足がつっても走れる」と評されるタフネスを武器に代表とクラブの両方でチームを引っ張る。

渡部博文(ヴィッセル神戸)

昨年のオフにヴィッセル神戸に移籍すると、加入直後から最終ラインの大黒柱として君臨。

昨シーズンはコンビを組んだ岩波拓也のウィークポイントをカバーしながら自身の強みでもある対人の強さを披露し、その岩波が浦和レッズに移籍した今シーズンは試合ごとに相方が変わる難しい状況に置かれながらも、副キャプテンとしてチームを支え続けた。

しかし、フアンマ・リージョが監督に就任すると序列が一変。センターバックに足下の技術を求めるリージョの下ではベンチに入ることも少なかった。

それでも本人は一切不満を漏らすことなく、今の境遇を自分をさらに成長させるための試練だとポジティブに捉え、練習に励んでいる。

堅守速攻を目指す他クラブからの引き抜きは十分ありそうだが、神戸も契約延長を打診していると伝えられる。日本でも屈指の空中戦の強さを誇るディフェンダーの動向に注目が集まる。

マテウス(ポルティモネンセ)

サントス時代のレヴィー・クルピ元監督の教え子として、シーズン開幕後にガンバ大阪に加入した年代別のブラジル代表経験がある若きボランチ。

チームに欠けていた中盤でのダイナミズムに長けた大型レフティで、オフにヨーロッパへ飛び立った井手口陽介の後釜として大きな期待を背負って加わった。

加入後はリーグ戦13試合に先発フル出場し、サガン鳥栖戦では目の覚めるような強烈なミドルシュートをゴールに突き刺すなど、与えられた役割をしっかりとこなしていた。

しかし、自身を日本へ呼び寄せた恩師が成績不振で解任されると、後を継いだ宮本恒靖監督の下では出場機会が無くなる。年内いっぱいまでだった契約がそのタイミングで解除され、中島翔哉が所属するポルティモネンセへ移籍した。

残念ながら日本でのプレーは半年のみで終了となったが、母国では未来の代表を担う逸材の1人として将来を嘱望されている。いつかヨーロッパのビッグクラブで再びその名前を見る機会があるかもしれない。

© 株式会社ファッションニュース通信社