3冠王ブーマーに“アニマル”レスリーも…オリの歴代助っ人は変わり種揃い

アスレチックスでも活躍を見せたトロイ・ニール【写真:Getty Images】

外国人初の3冠王を獲得したブーマー

 すでに1200人になろうとしているNPBの外国人選手。球史に残る選手も数多く出ている。パ・リーグ最古の伝統を持つ阪急、オリックスで活躍した外国人選手について振り返ろう。

○阪急、オリックスの外国人選手、安打数10傑。()は実働期間

1ブーマー 1276安打(1983-1991)
2マルカーノ 1049安打(1975-1982)
3バルボン 1017安打(1955-1964)
4山田伝 767安打(1937-1948)
5上田藤夫 755安打(1937-1947)
6スペンサー 615安打(1964‐1968・1971)
7ウイリアムス 604安打(1975-1980)
8ニール 558安打(1995‐1997・1998)
9バルディリス 525安打(2010-2013)
10ウインディ 501安打(1964-1969)

○本塁打数5傑

1ブーマー 251本塁打(1983-1991)
2マルカーノ 180本塁打(1975-1982)
3スペンサー 152本塁打(1964-1968・1971)
4ニール 136本塁打(1995-1997・1998)
5ローズ 104本塁打(2007-2009)

○勝利数10傑

1ディクソン 43勝(2013-2018)
2フレーザー 25勝(1996-1998)
3具臺晟 24勝(2001-2004)
4ホフマン 20勝(1989-1991)
5デイビー 18勝(2006-2008)
6マエストリ 14勝(2012-2015)
7ハタド 12勝(1998-1999)
7シュルジー 12勝(1990-1992)
9ニューベリー 11勝(1952)
10ヤーナル 10勝(2001-2002)

○セーブ数5傑

1アニマル 24セーブ(1986-1987)
2ウィン 11セーブ(1998-1999)
3シュルジー 10セーブ(1990-1992)
4レスター 10セーブ(2009-2010)
5プリード 4セーブ(2000-2001)

 オリックスバファローズは、プロ野球が始まった1936年に阪急軍として創設された。1989年からオリックスブレーブスとなり、オリックスブルーウェーブを経て2005年、近鉄バファローズと合併し、オリックスバファローズとなった。

ロベルト・バルボンは盗塁王を3回獲得、スペンサーは野村克也に立ちはだかる

 1年目からハワイ出身の日系人堀尾文人(ジミー堀尾)がプレーしていた。2年目に入団した山田伝、上田藤夫の2人の二世外国人は、1リーグ時代を通じて長く活躍した。

 昭和中期の阪急ファンにとって忘れられないのが、ロベルト(チコ)・バルボンだろう。キューバから来日、駿足選手として盗塁王を3回獲得。キューバ革命のため帰国できなくなり、日本に定住。引退後もコーチ、通訳として長く活躍した。今も京セラドームで見かけることがある。ファンは「バルボンさん」と気さくに声をかけている。

 ダリル・スペンサーはMLBジャイアンツの正二塁手だった大物。3冠王を目指す南海の野村克也の前に立ちはだかった。MLBの守備や走塁などを日本に教えた。「サイクルヒット」の概念を日本に伝えたのもスペンサーだ。昨年1月に亡くなった。

 ロベルト・マルカーノは、マイナーを経て日本に。日本のプロ野球になじみ、二塁手として長く活躍。全盛期の阪急には欠かせない存在だった。ブーマー・ウェルズは2メートルの巨漢。来日1年目は17本塁打。アベレージヒッターと思われたが、2年目の1984年に外国人初の3冠王を獲得。以後も長く中心打者として活躍した。

 オリックスになってからは、長く活躍した外国人打者は少ないが、トロイ・ニールは1996年に打点王、近鉄、巨人を経てオリックスに入ったタフィ・ローズは2008年に打点王を獲得している。

 打者に比べると、投手はぱっとしない。最多勝は現役のディクソンだ。ディクソンは来季で7年目、阪急、オリックスの投手では最長のキャリアになる。救援にもめぼしい投手は少ないが、アニマル・レスリーはクローザーとして活躍。ハッスルプレーが行き過ぎて、興奮のあまり捕手をグラブでなぐるなど、文字通りアニマルのような選手。“珍プレー好プレー”の常連だった。

 最近は長く活躍する選手が少ないオリックス。来季はどんな外国人が登場するだろうか。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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