唯一、存命のジョディ・シェクターが語る“6輪”ティレルP34。「ターンインするとホイールがバタバタと」

 GP Car Story第26弾は、奇想天外プロジェクトの6輪車『ティレルP34』を特集。世代によっては“タイレル”と呼ぶ方がしっくりくる方もおられるかと思うが……。おそらくこのクルマは、史上もっとも有名なレーシングカーと言っても過言ではないはず。当時、F1やレースを知らない人でも、「このクルマは知っている」「見たことある」というほど認知されていた1台だ。

 今ほど情報伝達手段が発達していなかった1970年代後半から80年代序盤、モータースポーツのメディアだけに留まらず、模型やおもちゃ、さらにはマンガ、アニメといった分野でも“6輪車”が与えるインパクトは絶大だった。今号の記事のなかで、故ケン・ティレルが「マーチャンダイジングにおいて成功だった」とP34を評しているが、まさにこの言葉こそP34が「史上もっとも有名なレーシングカー」になり得た理由を物語っていると言っていい。

 P34の登場は1976年、今から42年も前のことですでに当事者の多くが亡くなっている。そのなかでもドライバーとしてこのクルマに携わったジョディ・シェクターの存在はとても貴重。ドライバーとして唯一の存命者であり、P34で勝利した唯一のドライバーである彼は、“異端児”P34をどのように思っていたのだろうか。

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――あなたは1973年の終わりにティレルと契約しました。あの年は006とジャッキー・スチュワートが大きな成功を収めていましたから、移籍に迷いはなかったと考えてよいでしょうか?
「それは間違いないね。彼らは当時ナンバーワンのチームだった。ジャッキー・スチュワートが引退することを聞いていたかどうかは忘れたが、いずれにしても私の仕事はジャッキーの跡を継ぎ、セカンドドライバーのフランソワ・セベールとコンビを組むことだと承知していた。だが、その後、セベールはワトキンスグレンで事故死してしまった。他からも契約のオファーがあったかどうかは、ちょっと思い出せない」

――ところが、74年から75年の007の時期には、明らかにチームの競争力が低下していました。どうしてそうなってしまったか、理由をご存知ですか?
「技術的な面で後れを取っているような感じはあった。デレック・ガードナーは、ドライブのしやすさを第一に考えてクルマを作った。それがあのクルマのコンセプトだった」

――とはいえ74年には、あなたもワトキンスグレンの最終戦までタイトル争いに加わっていました。
「私の記憶が正しければ、確かモンツァのレースを終えた時点では、同点で選手権をリードしていたはずだ。だが、次のモスポート(カナダ)で、フロントブレーキが壊れてウォールに突っ込んだ」

バタバタ動く前輪

――ケン・ティレルから初めて「前輪を4つにする」と聞いたのは、いつのことでしたか?
「あのプロジェクトは秘密裏に進められた。私が憶えている限りでは、発表会の準備が整うまで、何も聞かされていなかった」

――その話を聞いた時、あなたはどう反応したのでしょうか?
「私としては具体的にどんなクルマになるのか、なぜそうするのかを知りたかった。ガードナーからは、前面投影面積が小さくなって、ブレーキングも良くなると聞かされたように記憶している。私にはそうは思えなかったけどね。私たちはポールリカールへ行き、古いクルマ(007)と6輪車の比較テストをした。確かに6輪車の方がストレートでは速かったよ。ただ、6輪車はリヤのトレッドが少し狭かったし、ウイングの設定も厳密に同じではなかったから、本当に正確な比較ではなかったと思う」

――実際にドライブしてみて、どう感じましたか?
「ストレートでブレーキを踏んでいる限り、確かにブレーキングは良かった。だが、ターンインを始めると同時に、あの小さなホイールがバタバタと上下動を始めて、ブレーキを緩めざるを得なくなった。そうしないと、そのタイヤにフラットスポットができてしまうんだ」

――その問題にはずっと悩まされたのでしょうか?
「いつから気になり始めたのかは忘れたが、それがあのクルマの一番の問題だというのが、私の最終的な結論だった。当時はアンチロックブレーキもなかったから、前輪のひとつが宙に浮くたびにそういう状況に陥った。アンチロールバーの効きが前後で均等ではなかったのかもしれないが、本当のところは分からない。技術的な細かい話までは憶えていないんだ」

走るたびにキャンバー修正

――ドライビングに関して、他にはどんなことを憶えていますか?
「ひとつ憶えているのは、ものすごくコントローラブルだったことだ。おそらく、ロングホイールベースであると同時にショートホイールベースでもあったからだと思う。極端に言えば、ストレートでも4輪ドリフトに持ち込めるほどで、しかもクルマを完全にコントロールすることができた。弱点はよく壊れたことだね。フロントサスペンションユニットは、走るたびにキャンバーを修正する必要があった。剛性不足で全体が曲がったり、しなったりしていたからだ」

――ドライビングそのものは、楽しかったということでしょうか?
「ああ、楽しく乗れるクルマだった。それに当時のリザルトを見直してみると、自分の記憶よりずっといい成績を残している(笑)」

――ウエットコンディションではどうでしたか?
「あまりよく憶えていない。ただ、当時のウエットタイヤは同じはずのセットでもバラつきがあって、グリップのいいものと、そうでもないものがあったりした」

――フロントタイヤが巻き上げる水しぶきが、リヤタイヤにかかりにくかったという人もいますが……。
「よくあるジャーナリストの知ったかぶりだよ! まあ、断言はできないが、それはあまり関係ないと思うね」

終始壊れてばかり

――スウェーデンGPは、あのクルマにとってシーズンのハイライトになりました。ポールポジションを獲り、レースでも勝ったのですから、大いに勇気づけられたに違いありません。
「どういうわけか、ティレルはいつもスウェーデンでは強かった。私も2度優勝している。理由は分からないが、私としてはリヤサスペションのジオメトリーがあのコースに合っていたような気がしている」

――そのスウェーデンで、前輪のひとつが脱落して5輪の状態でピットに戻ってきたのに、しばらく誰も気付かなかったというのは本当ですか?
「ああ、プラクティス中にホイールがひとつ外れたんだ。デレックが私のそばに腰を下ろして、『どんな感じ?』と聞いたので、私は『えっと、ほんの少しアンダーステア気味かな』と答えた。すると、みんなが一斉に笑い始め、その部分に毛布を被せてクルマをガレージに引っ込めた」

――オーストリアGPでは大きなクラッシュを経験し、脚にケガも負いました。その時のことは憶えていますか?
「フロントサスペンションの何かが壊れた。かなり大きなクラッシュで、軽傷ですんだのは幸運だった。レースでケガをしたのは、あの時の一度きりだからね。ボルトか何かが脚に当たって、傷から少し出血したが、大騒ぎするほどではなかった。あのクルマは絶えずどこかが壊れたり、歪んだりしていた。特にリヤサスペンションまわりが多かったと思う。イギリスのファクトリーに出向いて、『もうこのクルマには乗れない。始終壊れてばかりだ』と訴えたこともある。ザンドフールトでは、またクルマが壊れるのではないかと思うと心配で、コックピットの中で縮み上がっていた。あのサーキットの裏手の方(ピアース・カレッジやロジャー・ウイリアムソンがクラッシュした場所)で何かが壊れたら、まず無事では済まないからね。先ほども言ったように、あのクルマはフロントのキャンバーが絶えず変わってしまうほどだったのに、彼らは走るたびに調整するだけで、補強などの対策は何もしなかった」

――ターンインする時にフロントタイヤが見えるように、コックピットにパースペックスの窓を設けるように頼んだのはあなたですか?
「どういう経緯だったかは憶えていない。窓があったのだから、前輪が4つ揃っているかどうかも見えたはずだよね(笑)」

ティレルを離れた理由

――アメリカ人のコンピュータの専門家、カール・ケンプを憶えていますか? ティレルに加わった彼はデータ収集のパイオニアでした。
「その人と同じ人物かどうか分からないが、グッドイヤーから来た男が、何だかすごい機械を持ってきたのは憶えている。ロールになった幅2フィート(約60cm)くらいの紙に、何かが記録されて出てくるんだ。紙には走り書きでいろいろと書き込まれていたが、いったい何をしているのか誰にも分からなかった!」

――パトリック・ドゥパイエについて、憶えているのはどんなことですか?
「いいやつだったよ。典型的なフランス人だったけどね。例えば、最初のプラクティスで速かった時には、ピットに戻ってきて『クルマは文句なし』と言うのに、次のセッションで自分たちのタイムは同じでも他のドライバーが速くなってくると『全然ダメだ!』と言い出すんだ。でも、一緒にいて楽しい男だった。コース上でもかなり速くて、モナコとかその他のいくつかのサーキットでは、私より彼の方が速かった」

――ドライビングスタイルやセットアップの好みは似ていましたか?
「それほど大きな違いはなかったと思う」

――ガードナーとの関係はどうでしたか?
「とてもうまくやっていたよ。彼はちゃんとした紳士だった。ただ、6輪車に関する彼の理論には同意できなかった。そして、彼らは私よりもパトリックの意見に耳を傾け始め、それがティレルを離れてウルフへ行こうと考える理由のひとつにもなった」

――77年にルノーのターボエンジンを積む計画があったのはご存知ですか?
「それについては何も知らないな」

みんなが覚えているクルマ

――当時のクルマの1台を所有されているそうですね。どんな履歴のシャシーですか?
「私の理解している限りでは、かつて私がドライブして全損になったクルマが、バラバラの状態でアメリカへ渡った。私はそれを買い取ろうとしたのだが、持ち主が売ろうとしなかった。その後、彼がレストアして組み上げ、売りに出していたのを買ったんだ」

――オーストリアGPでクラッシュしたシャシーでしょうか?
「そうかも知れないが、正確なところは分からない」

――あなたの農場で開かれたフェスティバルで、そのクルマを走らせましたね。楽しくドライブできましたか?
「ああ。体型が変わっていて、乗り込むのが大変だったけど、すごくいい感じだったよ。まあ、ダスティな道を冷えたタイヤで半周ほど走っただけだから、理想的なコンディションではなかったけどね。あのイベントでは、フェラーリ312Tにも乗ったんだ!」

――あなたのキャリアの大きな部分を占めたあのクルマは、いい思い出になっていますか?
「もちろんさ。だからこそ、あのクルマを買ったんだ。何と言っても、みんながよく憶えている有名なクルマだからね」

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