劇場で初開催、新時代の演出 フェンシング日本一決定戦

フェンシングの全日本選手権個人戦決勝が行われた東京グローブ座=9日午後、東京都新宿区(代表撮影)

 スローガンは「突け、心を。」―。フェンシングの日本一を決める全日本選手権の決勝が9日、普段は演劇などを上演する東京都新宿区の東京グローブ座で初開催された。約700人の客席はほぼ満員。フェンシングの衣装をまとったダンサーが踊り、DJが軽快な音楽を奏で、色鮮やかな照明と大型スクリーンには試合中の選手や審判の心拍数まで表示される。2020年東京五輪を前に新たなファン開拓を図る試みとして、これまでのスポーツ大会とはひと味違う新時代の演出で会場を盛り上げた。 (共同通信=田村崇仁)

40時間で入場券完売

 「オーディエンスファースト(観客第一)、アスリートファースト(選手第一)で目指す改革です。感動体験を味わってください」。午後1時、円形の劇場で開演のブザーが鳴り響くと、スクリーンに登場した五輪銀メダリストの太田雄貴・日本フェンシング協会会長(33)が観客に呼び掛けた。昨年8月の就任以来、大胆な発想で挑戦を続ける若きリーダーは、最新技術を駆使したエンターテインメント性の高い大会運営など新たな試みに精力的に取り組む。

フェンシングの全日本選手権個人戦決勝が行われた東京グローブ座=9日午後、東京都新宿区(代表撮影)

 入場券価格は去年の平均1500円から今年は2500~5500円と強気の設定だったが、発売から40時間で完売。優勝賞金10万円の贈呈、インターネットテレビ局「AbemaTV」での5時間生中継も実現した。

 ルールに詳しくない人のために解説用のラジオを配布し、選手の突きに合わせて会場内が赤や緑色に光る発光ダイオード(LED)の仕掛けも設置。剣先の動きをスローで見せる演出もあった。

心拍数の駆け引き

 ライトアップされた舞台で特に反響が大きかったのは選手の緊張感が伝わる心拍数の表示だ。選手や審判が心拍計をつけ、互いの駆け引きや心理状況を観客が見て読み取れるような工夫を凝らした。試合後、心拍数の変化グラフを見ながら優勝者が戦いを振り返る場面も。男子サーブルを7年ぶりに制した徳南堅太(デロイトトーマツコンサルティング)は「序盤から冷静だった相手選手の心拍数が後半に上がっているのが見えたので、逆に落ち着いてできた。お客さんが盛り上がってくれて試合がしやすかった」と勝因を分析した。

フェンシング女子フルーレでモニターに映し出された選手の心拍数=9日午後、東京都新宿区の東京グローブ座(代表撮影)

 08年北京五輪前の全日本選手権を取材したころ、観客も競技関係者が大半だった当時と比べると隔世の感がある。福田佑輔強化本部長は「全てが初めてのことなので」と笑いながら、会場の雰囲気に手応えも感じた様子だ。11月のワールドカップ(W杯)を制し、今大会で3年ぶりの頂点に返り咲いた男子エペの見延和靖(ネクサス)は、写真家・蜷川実花氏が撮影した大会ポスターを飾った一人。「観客との距離感の近さは世界でもまずない舞台。一人一人のお客さんの表情まで見え、もっと注目度が上がりプレッシャーのかかる東京五輪に向けて貴重な経験になった」と主役を演じきった充実感を漂わせた。

エンタメと融合

 「スポーツとエンタメの融合」を追求し「非日常の体験をつくりたい」という太田会長の狙い通り、新たな観戦スタイルに家族連れを含めた観客の反応も上々だった。会場には20年東京五輪の組織委員会スタッフも訪れ、感銘を受けた様子だ。元フェンシング女子日本代表で、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの杉山文野さんは「課題もあるけど、競技の魅力を知ってもらう第一歩」と笑顔で話した。

 パワーアップした演出は昨年の大会比約6倍のスポンサー費獲得に支えられ、種目ごとに異なる協賛社がついて副賞も出た。観客との一体感を図るため「応援の熱量を可視化する」試みとして、声援を数値化してモニターに流す演出もあった。

男子サーブル決勝 ストリーツ海飛(右)を攻める徳南堅太=東京グローブ座(代表撮影)

 フェンシングの原形は中世の騎士たちによる剣術にあるとされ、1896年の第1回アテネ大会から五輪で実施される伝統競技。だが日本では野球やサッカーの人気競技と比べると、まだ馴染みが薄い。協会登録者を10年で現在の約6千人から5万人に増やす目標を掲げる太田会長はこのほど、日本初の国際フェンシング連盟副会長にも就任した。五輪種目のフルーレ、エペ、サーブルに続き、ルールが分かりやすくて選手の顔が見える「第4の種目」創設の構想も練っている。次は何が飛び出すのか―。旧来の常識にとらわれないフェンシング界の改革と挑戦から目が離せない。

太田 雄貴(おおた・ゆうき) 京都・平安高(現龍谷大平安高)で高校総体個人3連覇。男子フルーレで08年北京の個人、12年ロンドンの団体と五輪2大会連続銀メダル。15年の世界選手権個人で全種目を通じて日本勢初の金メダルを獲得した。16年のリオデジャネイロ五輪を最後に現役引退。東京の五輪開催が決まった13年の国際オリンピック委員会総会で最終プレゼンテーションに登壇した。同志社大出。滋賀県出身。

インタビューに応じる日本フェンシング協会の太田雄貴会長

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