野球人の道は様々 台湾、豪州での生活を経てチェコリーグに挑戦した鶴巻氏

チェコリーグに挑戦した鶴巻璃士氏【写真提供:鶴巻璃士氏】

ラストチャンスとして挑んだ「アジア・アイランダース」への入団

 世界中にはプロアマ、レベルに差はありながらも野球が存在している。近年では日本人選手のプレースタイルは多様化しており、海外リーグに挑戦する者も増えてきた。今年、欧州のチェコで貴重な経験を積んだ選手がいる。それが鶴巻璃士(りお)氏だ。

 2015年春、侍ジャパンは欧州選抜チームと壮行試合を行い、2試合で1勝1敗だった。普段はなかなか情報を得ることが難しい、欧州から集まった選手達が奮闘した。欧州ではWBCに出場しているオランダやイタリアを筆頭に、各地域で野球への関心が高まっている。その中で今年、チェコリーグに挑戦した鶴巻璃士(りお)氏に話を聞いた。

 鶴巻氏は埼玉県出身の24歳。小学3年生から野球を始め白南ボーイズ、春日部シニアを経て埼玉栄高校、平成国際大学とプロ野球選手を輩出している有名校で経験を積む。二塁と外野を守り、俊足と広角に打ち分ける打撃がプレースタイル。果たしてどのような経緯で海外でのプレーを選んだのだろうか?

「初めて海外でプレーした場所は実はチェコではなくオーストラリアです。知人の紹介でプレーする機会を得ることができました」

 大学在学中から海外に興味があった鶴巻氏は一念発起して台湾で働く決意をした。現地では野球とは無縁であり、飲食店で働く日々を過ごす。こうして働くうちに知人からオーストラリアのチームでのプレーのオファーを受け、台湾での仕事を終えて南半球へと渡った。

 初めて体験する海外での野球。打撃ではタイミングの取り方に苦戦し、投手攻略に苦労した時期があったという。この課題を克服するため、定期的に自身のスイングの動画撮影やチームメイトに海外式の打ち方を教わるなど、試行錯誤を繰り返した。また、1日中練習する日本と違って練習時間はわずか2時間しかなく、自ら考えてトレーニングも行った。こうして言葉や文化、考え方も違う選手達の中に混じってプレーした経験が、後に大きな力となる。

 オーストラリアで経験を積んだものの、自身の中で野球に対し不完全燃焼の思いがあった。そんな中で2017年冬、インターネットを通じて台湾で試合をしながら海外球団との契約を目指すチーム「アジアンアイランダース」の存在を知る。

「これがラストチャンスだと思って入団を決めました」と当時を振り返った鶴巻氏。このチームはイランやパキスタン、香港のアジア3か国で代表監督を務めた色川冬馬氏が創設し、プレー機会を求めて世界6か国から選手達が集まった。台湾では大学や社会人、そしてプロ野球チームとも対戦。鶴巻氏は切り込み隊長として打率.520、9盗塁と大活躍し、吉報を待った。

大谷と同じメジャー式の祝福「サイレント・トリートメント」を受ける

 台湾でのプレーを終えてしばらくして、チェコリーグに所属する「コトラーカ・プラハ」(以下プラハ)から入団オファーが届く。迷いなくチェコ行きを決めた鶴巻氏は、入団決定後、わずか3週間で渡航準備を済ませ現地へと飛んだ。

 チェコリーグは1部から3部までレベルが分かれており、大学野球のようにプレーオフや入れ替え戦も行われる。鶴巻氏が入団したチームは1部リーグに属しており、全10チームで上位6チームがプレーオフに進出でき、優勝を目指すシステムとなる。

「プラハは打撃と俊足を評価されて入団しました。初日に監督やチームメイトとあいさつしましたが、みんな気さくに話しかけてくれてプレーしやすい環境でした」

 チェコでは住居や保険など生活は球団が保証してくれていたため、後は野球に集中するだけの環境が整っていた。また、鶴巻氏自身にとっても既にオーストラリアや台湾での経験があったおかげで、他国の選手とのプレーや言葉の壁はそれほど大きな障害にはならなかったという。

 そんな中、チェコでは貴重な経験をしたという。「選手とファンとの距離がとても近いのです。試合後、球場の近くにあるバーへ一緒に飲みに行ったりします。ほかにも自分がホームランを打ったときにチームメイトからサイレント・トリートメントをされました。メジャー式の祝福ですね」

 エンゼルスの大谷翔平選手も初本塁打を放ちベンチに戻った際、チームメイトからわざと無視された「サイレント・トリートメント」だ。日本では盛大に喜ぶ場面で、あえて無視をするというメジャー式の祝福を、鶴巻氏も経験している。

海外で得た考え方と思い「周囲の目を気にすることがなくなった」

 こうしてチェコでのプレーを終えて帰国した鶴巻氏。日本人が少ない環境の中で得たものを聞くと、力強い言葉が返ってきた。

「周囲の目を気にすることがなくなりました。チェコでは自分の考えをはっきり伝えなければならなかったので、自分の思い、得た情報を自分で発信する大切さを学びました」

 野球への不完全燃焼の想いからアジアンアイランダースへの入団を決め、その数か月後には数少ないチェコ野球経験者となった。鶴巻氏自身は「挑戦」によって野球だけではなく、人生においても新たな選択肢を得たことになる。来季からは独立リーグ堺シュライクスの一員としてプレーする鶴巻氏は、最後に次世代の選手へ次のメッセージを送った。

「国内に限らず海外でプレーする選手が出てほしいと思います。ぜひ挑戦し続けてください」

 今や野球選手にとってNPBや独立リーグ、社会人などプレーする場の選択肢はあるものの、決して道は1つだけではない。今年は16歳の結城海斗投手がロイヤルズと契約、パナソニックに在籍した吉川峻平投手がダイヤモンドバックスへの入団を決めるなど、日本人選手が海を越えてプレーする事例が増えている。鶴巻氏も彼らのように、野球人に新しい選択肢を提供する貴重な存在だ。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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