語学だけでは通用しない。海外で成功するための“リサーチ”の重要性[PR]

株式会社by ZOOが運営する「b わたしの英会話」は、英語をはじめて学ぶ人が必ずぶつかる課題でもある「続けること」=英会話の習慣化」をテーマとしたインタビュー企画として、7カ国語を操るスポーツジャーナリストのフローラン・ダバディ氏にお話を伺いました。

前編では、日本語を学び始めてから、来日してサッカー日本代表の通訳になるまでの経緯を語っていただきました。

後編では、日韓W杯後のキャリアの遷移と、プロサッカー選手の欧州での成功事例をもとに、異国で成功するために必要な要素を掘り下げていきます。

 

テレビ出演者から制作側に回って感じた変化

今やっていることをやめて、180度違ったものに挑戦するのは大変なことだと思います。私は2002年の日韓W杯が終わった後と、2009年にフジテレビのキャスターの仕事を失いつつあった時に、キャリアが180度変わる経験をしました。

2002年は、W杯の勢いでたくさんの仕事のオファーがあったので、そこから何を選ぶのかという迷いがありました。その迷いは苦しいものではなかったですが、2009年に6年間担当していたフジテレビのコーナーを降板することになって、新しいオファーもない中で苦しい思いをしていました。そして、最終的には出演者から制作に回ることになったんです。

今までは外国人の出演者として扱われていたのが、制作に回ったことによって日本人と同じ立場で扱われようになりました。言葉使いもきつくなり、時間もハードでしたし、家族優先の生活が送れなくなって生きる世界が変わりましたね。それでも、私はその仕事をやりたいと思っていましたし、どこかで成功できるというイメージがあったので続けていました。

社会人になってから、海外で行きたい国や仕事をしたい国があって、その国の言語を学ぼうとすると当然エネルギーがいると思います。仕事をして、生活のための資金と海外に行く資金の両方を貯めながら、夜に勉強をしないといけないですよね。これで本当に良いのかと不安がある中で、モチベーションも上がったり下がったりします。

それでも、そこに行きたいという強い気持ちがあれば成り立つはずです。あとは才能や運によって、たどり着く場所が違うだけだと思います。

彼を救った日本代表のある選手

日韓W杯のサッカー日本代表で、日本語以外の言語を話せる選手はほとんどいなかったです。その中で、キャプテンの(※)宮本恒靖は英語を話すことができましたし、彼の母親が英語に関わる仕事をしていたこともあって、異文化に対する理解を感じました。

※宮本恒靖・・・日韓W杯、ドイツW杯と2大会連続で日本代表のキャプテンを務めたセンターバック。2011年に現役を引退し、その後は国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」に合格。現在は現役時代を過ごしたガンバ大阪の監督を務めている。

もちろん他の選手から何か差別を受けていたわけではなかったですが、彼に救われた部分はありましたね。トルシエ監督や私から彼に指示を送る時は、分かりづらいことがあっても、しっかりと受け止めてくれているような気がしました。

語学を学ぶ時に、初めてその国や異文化への扉が開かれます。日本人が語学を学ぶと、日本にいる外国人の見方が変わりますし、その人たちの苦労が分かるようになります。脳内のメカニズムが変わって、いろいろなことが見えてくるんです。

元プロテニス選手の現役時代の後悔

海外へ移籍をしても、その国の言語や文化を学ぼうとしないアスリートは、感性が育たないですし、あまり意味がないと思います。野球やサッカーを見ても、今までにそのような選手はたくさんいました。中には技術だけで成り立つ選手もいますが、せっかくスポーツのおかげで旅ができるわけなので、やはりアンテナは常に貼っておいたほうが良いです。

WOWOWで解説者をしている元プロテニス選手の神尾米さんは、海外のどこに遠征へ行っても、オフの日はホテルにこもっていたそうです。恐らく、外の世界を知ることにあまり重要性を感じていなかったのだと思います。海外で試合会場以外に行った場所は少ないですし、知り合いもできなかったと言っていました。

彼女はそのことを、現役生活を振り返って一番後悔していました。スポーツ選手には心・技・体が必要だと言われますが、海外に行く選手は「心」を鍛えることによって、より優れた選手になると考えています。そうすることによって、ロッカールームでも、ファンのやり取りの中でもいろいろなことを感じられるようになります。

私がジュニア選手の父親で、子どもが海外に行くのであれば、必ずその国の言語や文化を勉強させます。子どもが海外から戻ってきて、現地で一人も知り合いができなかったのであれば、それは父親として恥ずかしく感じますね。もちろん生き方や楽しみ方は自由ですが、視野は広く持つべきだと思います。

海外の日本人サッカー選手に見る成功の秘訣

サッカー界では海外で活躍する選手が増えてきていますが、大抵の選手はパートナーを連れて海外に行っています。そうすることによって、パートナーがその国に馴染もうと努力して、努力した結果を選手にもフィードバックするんです。そうしてお互いに助け合うことによって、選手が海外に馴染みやすくなっている部分はあります。

世代の変化も影響していると思います。1990年代のサッカー選手や野球選手は、バブル上がりのスーパースターでした。彼らは海外に行って成功しなくても、日本に戻って芸能人のようなライフスタイルを送ることができました。中田英寿のように、異文化を学ぶ意欲を持って海外に移籍する選手でないと、成功するのは難しかったですね。

ただ、今の日本人はだんだんと意欲的になってきたと感じられます。

中には、言語が上手くなくても成功している選手もいます。酒井宏樹選手はフランスリーグという、日本人が今まであまり成功していない舞台にいて、しかも語学がそこまで上手くはありません。そして、彼が所属しているマルセイユには熱狂的なサポーターがいて、チームに愛着がある選手でないとサポーターから認められません。

その中で酒井選手はチームへの忠誠心を見せていくことによって、サポーターの信頼を勝ち得てきました。フランス語のレッスンは受けているとのことですが、言語だけでなくマルセイユというチームが持つ文化を理解しようとしたからこそ、成功しているのだと思います。語学ももちろん大切ではあるものの、彼のように異文化を理解するという気持ちが先にあるべきです。

ドイツリーグには多くの日本人選手がいますが、ドイツは選手を受け入れる体制が出来ているんです。代理人や通訳が充実していて、溶け込みやすい環境になっていますが、そうするとその国に馴染めているという錯覚が生まれてしまうことがあります。

フランスやイングランド、イタリア、オランダ、ポルトガルなどの国は、ドイツ以上にその国の言語や文化を学ぶ姿勢がないと上手くいかないんです。乾貴士選手は日本人で初めてスペインリーグで成功した選手ですが、最初にスペインのエイバルという、バスク州の小さなチームを選んだことは正解だったと思います。

スペイン人は誇りが高いので、日本人選手を認めないですし、そのニーズを感じてくれません。それでも小さなチームに行くことによって、強豪相手にジャイアントキリングを起こすことができます。チャレンジャーという立場は日本人に合っていますし、良い意味で周囲の警戒心を感じずにプレーできたのではないでしょうか。

海外へ行く上での“リサーチ”の重要性

留学やホームステイをする上で、リサーチはものすごく大事です。私は海外に行って失敗したサッカー選手を見ていると、半分以上は行く前から間違った選択だと分かっていました。日本の代理人は今でこそリサーチの重要性を理解していますが、以前はそうではありませんでした。その国の文化や街並み、歴史、日本人との関係性をあまり理解していなかったんです。

英語圏に行くとしても、アメリカなのか、オーストラリアなのか、それともカナダなのか。アメリカの西海岸なのか、東海岸なのか。言葉が同じでも、場所によって文化や人の性格、外国人に対する姿勢が全然違いますから。そのことを知らずに行ってしまうと、失敗するリスクは高くなります。逆に、リサーチ次第では海外で成功する可能性が高くなる、ということは言えますね。

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