大人気だった巨人台湾春季キャンプ 台中は「大リーグボール」誕生の舞台

2014年にはU-21W杯の会場にもなった台中野球場【写真:広尾晃】

王貞治氏の母国の縁で招聘 台中野球場でキャンプ

 NPB最古の球団、巨人は1950年代までは主として兵庫県明石市、60年代以降は宮崎県都城市、宮崎市、2011年からは宮崎に加えて沖縄県那覇市で春季キャンプを行ってきた。この間に、一次キャンプとしてベロビーチやグアムで海外キャンプも行っていたが、1968年、1年だけ台湾で春季キャンプを行っている。

 台湾での春季キャンプには、当時、最強打者としてNPBに君臨していた王貞治の存在があった。中華民国籍で、台湾でも人気絶頂だった王貞治の縁で、台湾は巨人軍の春季キャンプを招聘したのだ。

 キャンプ地は台湾中部の大都市、台中市。現在は市の郊外に台中洲際棒球場という、国際的な規模の球場があるが、当時は台中市街にあった台中野球場で行われた。この球場は、日本統治時代の1935年に創設。当時としても33年が経過した古い球場だったが、巨人を招聘するにあたって台湾政府、台中市は改装工事を行っている。両翼95メートル、中堅110メートルだった。現在の標準的な球場は両翼100メートル、中堅122メートルだから小さいが、これは当時のプロ野球の本拠地球場と比較して、それほどそん色はなかった。

 現在の台湾は台北から高雄まで高速鉄道が通じている。日本の新幹線と同じ車両だ。アジア・ウィンターリーグに参加する選手は桃園国際空港から高速鉄道を経由して1時間余りで台中に到着するが、当時は台北松山空港から在来線(台湾鉄路)で台中まで3時間近くをかけて移動した。

 台中駅に到着した選手たちは、大勢の市民の歓迎を受けた。爆竹も鳴らされ、川上哲治監督や選手が驚いたという報道もあった。

旧台中駅の外観【写真:広尾晃】

台湾キャンプ中、星飛雄馬が金田正一氏から魔球のアドバイス受ける

 巨人は当時、セ・リーグ、日本シリーズで3連覇中。人気絶頂であり、台湾の新聞、テレビも連日大きく報道した。選手たちは練習が終わると連日のように歓迎会に招待された。王貞治はVIP待遇で、台湾政府の歓待を受けた。温暖な気候の中で、選手の仕上がりは速かったようだ。

 今、台中野球場は台湾体育大学の構内にあるが、最近では2014年の第1回 IBAF 21Uワールドカップの会場にも使われている。ただし侍ジャパンは使用していない。

 実はこの台湾キャンプは、野球漫画、アニメ史上でも重要な意味を持っている。この1968年からアニメ「巨人の星」の放映が始まり、野球少年に爆発的な人気を博した。

「巨人の星」は、現実のプロ野球の動きを1年遅れで伝えていたが、1969年6月の放送で、台湾キャンプの最中に、金田正一に「変化球を教えてくれ」と言った星飛雄馬に「大リーグボールを編み出せ」とアドバイスをしたことになっている。金田はこのキャンプで怪我をして一足早く日本に引き揚げているが、星飛雄馬は台中駅まで見送っている。

 このシーンでは、台中駅が描かれているが、実際の駅を忠実に再現している。原作者梶原一騎、漫画を担当した川崎のぼるが、綿密に取材をしていたことがわかる。

 記念すべき「大リーグボール1号」は、台中で生まれたと言ってもいいのだ。

 台中駅は日本統治時代の1917年に完成。当時の姿のまま2015年まで使われていたが、翌年から近代的な駅が完成し、今は国定古跡として保存されている。

 タクシーで台中野球場付近を通ると、年配の運転手が「ここで王貞治が野球をしたんだ」と誇らしげに話すことがある。すでに50年の歳月が経ったが、「台湾にやってきた巨人軍」は、現地の人々の記憶に深く刻まれている。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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