和装文化の裾野 広げたい 現代的な着こなし提案 着物デザイナー 川原マリアさん(32)=長崎市生まれ=

 着物は3割増しでかわいくなれる-。長崎市生まれの着物デザイナー、川原マリアさん(32)=京都市在住=は、和装文化の裾野を広げようと多方面に発信している。昨年は新ブランドを立ち上げるなど、若者にも取り入れやすい着こなしを提案する。
 白黒のアーガイルやストライプ柄の着物に、ポップなキスマークの帯留め、頭には金髪ウィッグに真っ赤なヘッドドレス…。2日、長崎市内の着物イベントに出演した川原さんは、自身がデザインした現代的な着物で登場した。「長崎は着物の似合う街」と語り、写真映えするポーズの取り方を紹介するなど和装の魅力を伝えた。
 現在、着物の卸問屋に勤めながら、着物ブランド「MICO PARADE」の社長や和装モデル、和柄のイラストレーターなど幅広く活動。しかし、今に至る道のりは決して平たんではなかった。
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 6人きょうだいの末っ子。3歳で長崎市から諫早市へ転居した。デザイナーの父はあまり家におらず、裕福とは言えない家庭環境。「とにかく家を出たい」。カトリックだったこともあり、小学校を卒業すると親元を離れて長崎市内の修道院に入った。
 修道院と同じ敷地内の私立中・高に通い、「塀」の外に出られるのは月1回、3時間だけ。「毎日の祈りの中で自分自身への問い掛けを繰り返し、自分がどんな人間なのかを分からせてもらった」と語る。
 卒業後は「表現する仕事がしたい」との気持ちから修道院を離れ、兄のいる名古屋へ。劇団を経て東京の大企業に就職。生活は安定したが、お金のために働く日々に迷いが募り、もう一度、表現の道を模索した。
 自分は何をしたいか-。頭に浮かんだのは父や姉もしていたデザインの仕事。「海外で『日本の伝統的なデザインをしてる』って言ったらかっこいい」。17歳の時に亡くなった父が、病床で着物姿を褒めてくれた“良い記憶”もあった。インターネットで「京都 着物 弟子」と検索。着物の柄をデザインする図案家の門をたたいた。23歳だった。
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 弟子入りした師匠は、京都で和柄をデザインする会社を営んでいた。3年間は無給という条件だったが、デザイナーになりたい一心で貯金を切り崩しながら修業。掃除やお茶出しから始まり、図案家としての技術は見て覚えるスタイルで習った。1年で給料をもらえるようになった。
 着物生産は各工程が細かく分業され、さまざまな職人の技術が結集している。図案家の仕事はその川上にあり、当初の意図とは異なる着物ができることも。「もっとお客さんに近づきたい」。2014年、卸問屋に転職し、現在新ブランドの展開や商品企画を担う。
 平均年齢が80歳を超えるという図案家の世界にあって、川原さんは異色の存在だ。着こなしは自由。着物の下にタートルネックやシャツを合わせても良いし、帯締めはベルトでも良いと言う。「本来はただ着るものだったはずなのに、格式が高くてルールが多すぎる。着物をファッションに戻したい」
 手掛けるブランドでは、和柄をデジタル印刷したポリエステル製の反物を使う。比較的安価にデザイン性を高められ、手入れも簡単。伝統を重んじる人たちから批判もあるが、世間の評判は良い。「これを入り口に和装に親しんで、いつか正絹の着物を手に取り本物の良さにたどり着いてもらえたらいい」と話す。
 図案家として古典的デザインも現代的デザインも描ける。だからこそ、若い人と閉塞(へいそく)感漂う業界との懸け橋になれるのではないか。「全体のことを考えて、みんなが幸せになれる物づくりをしていきたい」

「図案家という仕事を知ってほしい」と話す川原さん=長崎市浜町
川原さんがデザインした着物(川原さん提供)

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