城山羊の会、一旦お休みへ 面白成分増し増し『埋める女』傑作

『埋める女』のチラシ

▼数々のヒットCMを演出し、40代半ばで演劇に軸足を移し、映画監督でもある山内ケンジさんの演劇プロデュース「城山羊の会」が、東京・下北沢ザ・スズナリでの公演『埋める女』(12月6~16日)をもって、暫く休止するという。残念すぎて、しばし歩道橋でボーっと立ち止まった。観劇後に思い出し笑いが止まらない夜が、年に約2回のペースで巡ってきていたのだが。しかも、休止前の一作のせいか、『埋める女』は過去作よりも山内さんが遊んでいるとおぼしき傑作で、余計に名残惜しい。

▼登場人物は7人。トラック運転手の中年男(岩谷健司さん)、夜遅く郊外の道路でヒッチハイクした二十歳に満たない少女(福井夏さん)、たばこ店の男(岡部たかしさん)、その内縁の妻(金谷真由美さん)、若者(伊島空さん)、奥田遙平(奥田洋平さん)、その妻(坂倉奈津子さん)。話の中身は今後舞台やDVDか何かでご覧になる方のために割愛。岩谷さんと岡部さんは城山羊コアメンバーで今回も期待を裏切らない。福井さんは講談社の「ミスiD2019 佐久間宣行賞」受賞者。初めて城山羊で拝見したが、かなり変なのか、純粋すぎるのかが不明な少女役をまるで「本物が来た」と思わせ、とても良い。いつかまた城山羊で見たい。奥田さんは、こんな場所に来ているがほんとは仕事が忙しいんだ私は、的な男っぷりがおかしい。他の俳優も含めて相変わらず、キャストがそれぞれに引き立つ演劇だ。

 山内作品の面白要素をいくつか挙げますと…。

▼【テーマなし】山内さんに数年前に話を伺うと、「僕は脚本の『箱書き』はできないタイプで、いつも頭から会話を書いて、それにつながる面白さだけを考えて書く。途中でその後の流れも段々見えてくるっていう書き方です。どういうエンディングにするかも全然決めずに書いてます。テーマも何も考えてないですね。テーマは、キャストがテーマなので」と教えてくれた。

 俳優を決めて、それぞれの良さが出るように当て書きする。見ていると登場人物たちの関係性の変化や、本音と建前のせめぎ合いで遊んでいるように見えて、本当にテーマはない。物語らない。常に状況がどう転がっていくのか分からない。さらに今回は、観客と舞台の関係を危うくする遊びも交ぜていたから、山内さんはタチが悪いというか御礼申し上げます。

▼【フィジカルの使い方】いわゆる現代口語演劇の範疇にあり、饒舌な人はあまり出てこず、「あ」「うん」「いえ、まあ」といった言葉が多い、静かな舞台の中、人間の肉体を生々しく、ぐっと見るしかなくなる演出が差し挟まるのも特徴の一つ。突然「倒れる」ことの圧倒的で不変なおかしさ、性的なアピールや絡み、もめ事の絡み。それでドラマチックにしようとする意図は感じない。多分、そうなっちゃう人間が面白いから、だろう。今回『埋める女』はこれが随所でかなり効いていた。

▼【ネガティブ要素】「本来僕はネガティブなものが好き」と山内さんは言った。「映画でいうとミヒャエル・ハネケだとかラース・フォン・トリアーとか、ヨーロッパにはそういう人が何人かいますよね。どうしてこんなものをわざわざ作るんだろうという、悪としか思えないような映画を作る人が。それはすごいことだなと。映画にしても演劇にしても、そういう振り幅の大きさ(多様性)が豊かにするわけだから。日本ではそれがすごく少ないと思うんですよね」。

 人間の悪意がこぼれ出る瞬間は、山内作品に毎回あるが、2015年の舞台『仲直りするために果物を』はいつになくハードで、観客の中には気分を害して途中棄権する人も出た。今回『埋める女』はそうした直接的でツライ露悪ではないが、「本当にそうだったら嫌だなあ、吐き気するなあ」と思う話や、「おや、ということはこの人はああなってしまったのか?」というネガティブ要素が埋め込まれていた。

▼【トリックスターと周りの人々】闖入者が場をかき回す、というは劇の王道。いわゆる「空気を読まない」人物の登場だ。山内さんはそうした人物を「トリックスター」と言い、よく使う。「みんな何かしら事情や問題を抱えているリアルな日常。観客がすぐに入り込める状況から始まって、そこにちょっと訳の分からないトリックスター的な人が介入してきて、かき乱されていくというパターンです」

 長編映画2作目『友だちのパパが好き』(2015年)は、まさに友だちのパパ(吹越満)を好きになった若い女性(安藤輪子)が、その思いのままに行動するトリックスターで、全編ずっとおかしみだらけの映画だった。

「登場人物はみんな僕らと同じで、問題を抱えているけれど生活がある、仕事がある。社会的でも政治的でも、大問題があったところで、100%一つのことに関わることはできない人たち。でも、トリックスターだけは、なぜか(集中する対象が)一つしかないんですよ。だから話が面白くなっていくってことだと思うんです」

 トリックスターのあまりの純粋ぶりを周囲は疑い、勘繰るが、純度100%で濁りなく、結果的に、周りの人々が抱えていること、見せないようにしていることが何なのか、浮き彫りになっていく。観客は、各登場人物の<関心・感情の円グラフ>を楽しみ、<発言・行動の円グラフ>との不一致ぶりも笑う。

▼しかし今回『埋める女』は、トリックスターが1人では済まず、「隠れ」を含めて複数いた印象だ。女性たちの純度、「おかまいのなさ」が極上タイミングで露出した。枝豆が自分でジッパーをスッと下ろして豆を見せるみたいに。「城山羊の会」は暫く休止だが、映画は新作を準備中というので公開が待ち遠しい。

(宮崎晃の『瀕死に効くエンタメ』第118回=共同通信記者)

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