金属行人(12月14日付)

 先般、小欄でクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの生涯について描かれた映画「ボヘミアン・ラプソディ」に触れた。その後、フレディの没年を誤記しているとのご指摘を受けた。この場を借りておわびしたい▼「過ち」つながりで言えば、企業によるさまざまな過ちが公にされ報じられることが多くなった。その結果、企業の命運もさまざまに左右されているが、報道に接して思うのは問題が発覚した際の対応の違いだ▼某テレビ局のあるコーナーでやらせが報じられた際にも、当初は事実を否定してしまった。その後、結局は事実の否定を撤回し「やらせ」とは明確に認めなかったものの社長が謝罪、同コーナーは休止となった▼過ちが生じた場合に初動で過ちを否定したり、大した影響はないから大丈夫と開き直ってしまうことが一番マイナスに作用しているように見える。認めて真摯に謝罪した場合は、さほどワイドショー的な興味は持たれないようだ▼現在、ちまたで事実として流れていることも当事者に聞いてみると事実でないと発覚することもある。紙面は正確な情報を収集する一助となるためのものでもある。どんな小さなことでも誤りをなくすべく努力したい。

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