ブンデスリーガ・フォルトゥナ・デュッセルドルフに所属する宇佐美貴史が「消えた天才」という番組でガンバ大阪ジュニアユース当時に憧れていた選手を話していたので紹介していきます。
プロフィール
まずは、宇佐美選手のプロフィールを紹介していきます。
宇佐美 貴史(うさみ たかし)
現所属:フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)
生年月日:1992年5月6日
現在年齢:26歳
出身地:京都府長岡京市
血液型:B型
身長:178㎝
体重:69㎏
小中高:長岡京サッカースポーツ少年団(京都)→ガンバ大阪ジュニアユース(大阪)→ガンバ大阪ユース(大阪)
「天才」が憧れた「天才」とは
現在、ブンデスリーガ・フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)に所属する宇佐美貴史。少年時代は地元京都の長岡京サッカースポーツ少年団に所属し、入団した小学4年生から卒業する間に「600ゴール」を記録するなど、地元では「天才少年」として知れ渡っていました。
「天才」の宇佐美少年は中学進学と同時に、稲本潤一(北海道コンサドーレ札幌/今シーズンで退団)、や家長昭博(川崎フロンターレ)を輩出したガンバ大阪ジュニアユースに所属。しかし、チームには「僕らの世代は全員が憧れていた」と宇佐美選手が尊敬するほどの選手が在籍していました。
その選手は名前は河本光善(かわもと みつよし)さんです。
ガンバ大阪ジュニアユースの元監督、鴨川幸司氏もテレビ内で「(河本は)10年に一人の逸材です。プロだったコーチと1vs1をしていてもチンチンにするぐらい(笑)Jリーグや日本代表になれるぐらいの選手でした」と話しています。
河本さんはガンバ大阪ジュニアユース時代、中学2年生ながら背番号「10」を背負っていました。かつて、ガンバ大阪ジュニアユースに在籍していた本田圭佑(メルボルン・ビクトリーFC/オーストラリア)も当時の河本さんを大絶賛していたそうです。
6月に開催されたロシアワールドカップで大活躍した原口元気(ハノーファー96/ドイツ)もアンダー世代の日本代表では河本選手の「控え」にまわっていたそうです。
サッカー界から消えたのはなぜ?
「中学校2年生のときにユース、高校生の代の選手とプレーしたんですけど、自分の中で(技術が)劣っていない、中学3年生のときは『プロできる』と確信していました」と河本さんは当時の自分について明かしています。
では、将来を嘱望されていた天才はなぜ、突然とサッカー界から姿を消したのでしょうか?いったい河本さんに何が起こったのでしょうか?
テレビ内で河本さんは「サッカーに魅力が無くなっていった......」と話しました。
ずば抜けた技術力を持っていた河本さんは飛び級でユース(高校生年代)のチームに行っていました。しかし、「ボール持ちすぎだろ!」「ボール(パス)を戻せ」「チームプレーをしないなら使わないぞ」とそんな言葉を選手や監督から掛けらたそうです。天才と称された河本さんの元にボール(パス)が回ってこなくなり、チームでは完全に孤立状態に。
そして、河本さんはガンバ大阪の育成組織を退団。サッカー界から姿を消していきました。
才能が有りすぎた故に「チームプレー」ができなかった...。これが、一つの才能を消してしまった最大の理由です。
かつての「天才」の現在地
ガンバ大阪の育成組織を退団した河本さん。「サッカーを辞めてからは、不良になりました。単車乗り回して、暴走族になり、揉め事、喧嘩を繰り返しました」とその後の人生をテレビ内で語っています。
そんな、荒んだ人生を救ったのは、現在の奥さんである茉優さんでした。破天荒だった河本さんは20歳の頃に結婚。「苦しさや辛さを今の奥さんと乗り越えることができたからこそ、今の幸せがあります」(河本さん)
今は2人のお子さんと一緒に家族で幸せな家庭を築いています。現在は、電話回線の工事をする会社に勤務しているそうです。
番組の最後、河本さんは宇佐美選手へこんなメッセージを送っていました。
「宇佐美が試合に出ている代表の試合だったり、ドイツの試合を観て思うんですけど、絶対にもっとできる!と俺は思ってる!宇佐美の力はこんなもんじゃない!絶対にもっとできるから!お互いに頑張っていきましょう」と。