【及川瑞基が歩んできた道#6】「やっちまった…」のしかかる9連覇の重圧 雪辱果たしに、再びドイツへ

*写真:高校1年生時の及川瑞基(左)/提供:及川瑞基

初のドイツ修行を終え、僕は高校生になっていた。とは言え何も変わらない。中高一貫校の青森山田で卓球漬けの日々だ。でも「俺、少しは強くなったのかな」。4部とは言えブンデスリーガでの修行の経験は僕にちょっとした自信を持たせてくれた。

でも、そんな自信は高校最初のインターハイで木っ端微塵になった。青森山田高校の9連覇という偉業がかかった団体戦、希望ヶ丘高校との1番手で、田添響さん(現・木下マイスター東京)に対して逆転負けを喫したのだ。僕が2ゲームを先取し、誰もが勝ったと思った。僕自身も「勝った」と思っていた。でも、響さんはすごかった。第4ゲーム、第5ゲームはデュース戦になり、そこを取られた。何かが足りないのかもしれない。そう思った。

「1番いってこい」と言われたのは直前のことだ。そこから何かが狂ったのかもしれない。2ゲーム先取したときも頭が熱くてボーっとしていた。その年は福岡開催だった。地元・希望が丘高校を応援するような地鳴りのような応援もどこか遠くに聞こえる。気づいたときには逆転されていた。逆転される間際に気づいた。「プレーが単調になってる」と。だが、気づいたときにはもう遅かった。

記憶が戻ってきたのはベンチに帰る時だ。はっきりと「やっちまった…」と小さく口に出した気がする。1番は流れを作らないといけないのに…。「申し訳ない。応援でがんばります。すみません」としか言えなかった。結局チームは敗れてしまった。

この屈辱を晴らすべく、気合を入れてシングルスに臨み、1年生ながらにも決勝に進出した。相手は僕の2つ上、同じ青森山田の先輩、森薗政崇さんだ。森薗さんも団体戦の負けの悔しさをここで払拭しようと、ものすごい気迫で迫ってきた。圧倒された。ボールが生きているように感じた。結局僕はゲームカウント1-4で負けてしまったのだ。粘り強さや最後まで攻めきる強さを感じた。

2年生で迎えたインターハイでも、僕は準決勝で敗れ、3位に終わる。技術的な問題はなかったはずだ。ならば最後の勝負の分かれ目は精神面。

悩みまくった僕はこんなことを考えていた「ドイツに行ったら何か変わるかも」と。ドイツでいろんな人と試合していろんな人のボールを取る。精神を鍛えてもっと強くなりたい。何よりも、ドイツで見た丹羽さんの試合がいまだに頭から離れていなかった。4部とは比べ物にならない観客の数、会場が割れんばかりの拍手と熱気。

「あそこに立ちたい。」

思い立った僕は板垣さんにお願いしに行っていた。しかし時期がギリギリだった(編集部注:インターハイが8月中旬、ブンデスリーガは9月から翌年3月開催)こともあり、なかなかチームも見つからず、三部と坪井さんと同じ、フリッケンハウゼンに行くことになった。チームの1番手を3人で代わる代わる担当することになったのだ。

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文:及川瑞基

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