セクハラ登場30年、いまだ続く被害 「男の論理」が再生産

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セクハラの内容と対応=労働政策研究・研修機構調査(複数回答)

 「セクハラ」という言葉が日本に登場しておよそ30年。セクハラはだめ、という認識は職場やあらゆる場で共有されてきましたが、被害はいまだに続いています。どう対処すればいいのか、あらためて考えてみたいと思います。

■「AV女優か?」担任教諭の言葉にあぜん

 京都市北区の女性(36)は高校時代、担任の男性教諭から投げかけられた言葉が忘れられない。個人面談で将来の進路に話題が及び、女性が空手をしていることを伝えると、教諭は「空手もできるAV女優(を目指す)か?」と言い放った。

 「あぜんとして無言になった」と女性。教諭は他の女子生徒にも性的な発言をしたり、膝を触ったりしていたという。

 DV(ドメスティックバイオレンス)被害者を支援する団体「びーらぶ京都」の立川桂子代表は、「女性として(性的な)暴力を受けたことがないと思う人もいるかもしれないが、何気ないところで受ける可能性がある」と話す。

 セクハラをされた際、受け流したり、冗談にしてしまったりすることもある。ある女性は「職場に性的な発言の多い人がいるけれど、わいわいしたところなので、一つ一つに怒っていない。そういう(発言を許す)場にしちゃっているかな」と話した。

■セクハラの構造は「女性をばかにする思考」

 しかし、セクハラの構造は「DVと変わらない」と立川さんは指摘する。「女性をばかにする思考がある。対等な関係ではなく、力の不均衡が生じている中で起こりやすい」という。

 被害に遭ったとき、「それはセクハラです!」と面と向かって告げることができればいいが、特に相手が上司や取引先だと難しいことも。

 びーらぶ京都が11月に開いたハラスメントに関する講座では、言いにくいことを伝えやすくする方法として、「私」を主語にして話す「I(アイ)メッセージ」が紹介された。「私は~と感じる/思う」と語ることで、相手を攻撃せずに気持ちを表現できるという。

 立川さんは「事実を述べ、自分が思ったことを伝え、どうしてほしいかを示す。工夫して話すことも大切」とアドバイス。「『あなたは~』と話す『You(ユー)メッセージ』は相手を責める言い方になりがちで、相手からさらに言葉を返される恐れもある。Iメッセージは相手も自分も傷つかずに自己主張できる」と話す。

 いまだ性別役割分業意識が残る日本社会。立川さんは「私自身、パートナーと対等な関係を頑張ってつくってきた。だれがビールをつぐかとか、一つ一つは本当にささいなことだけれど、習慣にもの申すことは大切。エネルギーのいることですが」と参加者に語りかけた。

■セクハラ被害、6割超が泣き寝入り

 職場でセクハラを受けた人は実際どんな対応を取っているのだろうか。

 労働政策研究・研修機構の2015年度調査によると、セクハラを経験した女性のうち、63.4%が「我慢した、特に何もしなかった」と答えた。多くが泣き寝入りしている状況にある。

 次いで高かったのが、「会社の同僚に相談した」(14.4%)で、「加害者に抗議した」は10.2%だった。

 男女雇用機会均等法は、事業主に相談窓口の設置などのセクハラ防止策を義務づけているが、「会社の相談窓口、担当者に相談した」は3.1%どまり。同機構の企業調査では、セクハラ防止策に取り組んでいない企業は40.8%あり、いまだ職場環境が整っていないところも多い。

 労働局に相談すれば、局長による紛争解決の援助や、調停委員の調停を受けることができる。京都労働局では、17年度にセクハラに関する相談は203件あったものの、紛争解決援助は5件、調停は0件だった。滋賀労働局では、相談は69件で、紛争解決援助、調停とも0件だった。

■「男の論理」が再生産、人権教育進まず

 なぜセクハラはなくならず、女性はノーと言いにくいのか。国際人権法やジェンダー法が専門の谷口真由美・大阪国際大准教授に聞いた。 ◇

 昨年、大手食品メーカーのCM動画で、合コンで勝つ女性のテクニックを取り上げたものがありました。「さすが」「知らなかった」「すごい」といった言葉を使えばいい、と。女はおばかを演じて男を立てるんだ、という考えがいまだにまかり通っています。

 戦後、専業主婦が登場し、「職場=男の場」という前提で日本は経済成長しました。男の論理の中で、セクハラを「言わせてなんぼ」「(言われた側が)おとなしくしたらいい」と許容し、そうした考えを世代を超えて再生産してきました。「おかしい」と伝えようとしても、「場の空気を読め」となる。異議申し立てをする人の味方も少ない。

 でも、「私は嫌だ」と主張する権利、人権をみんな持っています。1人でも嫌だと言ったことに耳を傾けないといけない。ただ、人権は学ばない限り理解できません。この分野では教育が進まなかったと思います。

 父が近鉄ラグビー部コーチ、母が寮母をしていて、その寮に住んでいたため、マッチョな男に囲まれ、セクハラが当たり前の世界で育ちました。そんな私も、勉強して「自分にとって嫌なことがあるように、セクハラをされて嫌な人がいる」と分かったんです。

 子どもが小学4年のとき、人権教育で自分がされて嫌なことは人にしたらあかんと習いました。間違ってないけど足りない。この考えでは、自分が平気なことは人にしていい、となる。相手が嫌なことはしたらだめなんです。

 相手がどう感じるかを知るには、コミュニケーションを取るしかない。最初は失敗もするけれど、そのときはごめんねと謝ることです。