「残念、そこには岡田がいる」 ロッテを現役引退した岡田が伝説になった日

今季限りで現役を引退した岡田幸文【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

数々のファインプレーでファンを沸かせた岡田幸文

 幕張の「エリア66」が今季限りでユニホームを脱いだ。岡田幸文にとっての現役時代で一番思い出に残っている試合。ベストゲームを1試合挙げるとすれば、どの試合だろうか。そう問うと間髪入れずに回答が返ってくる。

「2011年の巨人戦でしょうね」

 これは本人のみならず野球ファンも納得の答えだろう。2011年6月15日の巨人戦(東京D)。18時試合開始のナイターで行われたこの試合。1番・中堅でスタメン出場をした岡田は守備で魅せ、伝説となった。

 最初は2回の守備。1点を先制されるとなおも1死一塁で打席に7番・阿部。右中間方向へ大きく打ち上がった打球に対して、岡田は背を向けながら追った。ボールから目を離さず確実に捉えていて瞬時に捕球できると計算。そして次に起こりうるシチュエーションについて頭を巡らせていた。

「いけると思って追っていた。ただフェンスが見えたので、このままぶつかるだろうなと。あとはその衝撃でボールが落ちるか、落ちないか。とれるのは間違いないとして、問題は衝突後にしっかりと捕球できるかどうかだった」

 ジャンプしながらボールをグラブにおさめると、フェンスに激突。ただ、ボールは離さなかった。キャッチしてピンチをしのいだ。続いての見せ場は1点ビハインドの5回2死一塁で2番・坂本を迎えた場面。左中間を割る勢いで飛んできた飛球を全力で追い掛けた。

「守備では絶対にとるのだという強い気持ちが大事。躊躇(ちゅうちょ)したらダメ。諦めずに追い掛ければ必ず追い付くと思って走っていた。守備で攻めたというような感じ。当時はイケイケでしたね」

 岡田は走った。諦めずに走った。脳裏にマイナスな気持ちが付け入るような隙は微塵もなかった。だから追い付いた。そして最後はグラブの先端ギリギリのところで捕球した。白球はグラブの先にハッキリ見えていた。でも落とさない。絶対にアウトにするという強い気持ちが呼んだプレーだった。

3度目のファインプレーは一回転してボールを離さなかった

 そして、この試合を決定付けるトドメは8回に起きる。1点のリードを許したまま終盤に突入。2死一塁で3番・小笠原を打席に迎えていた。右中間を抜けると思われた打球に間一髪、間に合うとダイビングキャッチ。勢い余り一回転しながらもボールを離すことはなかった。

 1試合3度のファインプレー。気がつけば巨人の本拠地・東京ドームの空気が一変した。いつもは巨人贔屓のテレビの実況アナウンサーも興奮の声をあげた。

「ジャイアンツのファンの方々からも拍手をいただきました。それは今までに感じたことがない空気でした。試合はずっと1点ビハインドで進んでいたけど、あのプレーで勝てるかもと思った」

 予感は的中した。9回2死。岡田は同点のランナーとして2塁にいた。打席に入っていたルーキー・伊志嶺の打球は綺麗な弧を描いてマリーンズファンで真っ黒に染まるレフトスタンドに消える。逆転2ラン。試合は千葉ロッテが3対2で勝利した。岡田の3度にわたるファインプレーがなければ間違いなく点差は開いていた。岡田の守備が流れをつかみ、勝利に導いた試合だった。

 そして背番号「66」の守備はこの日、全国区となった。「残念、そこは岡田」。略して「残岡」。ファンは長らくの間、岡田の守備をそう評してリスペクトした。打者が抜けたと思った会心の打球でも岡田のグラブに収まる。「残念、そこには岡田がいるからね」。マリーンズファンにとってこの男の守備は誇りだった。

 ただ岡田がこの試合をベストゲームに挙げた理由は3度にわたる自身のファインプレーがあったからだけではない。

「エースの成瀬が好投して最終回にルーキーの伊志嶺がホームランを打って逆転して1点差で勝てた。それがチームとしてすごくいい勝ち方でうれしかった。その気持ちがすごく残っていますね。自分としては守備で流れを導けたことはうれしかったです。守備にも攻めがある。攻めの守備をすれば試合の勝利に貢献できる。そのことを確信することができた試合でした」

 どんな時もチームの勝利を優先していた彼らしい答えだった。もちろん2010年の日本一を決めたナゴヤドームでの決勝三塁打も記憶に残る一打だ。でも守備の男としての真骨頂は2011年の巨人戦にある。そのプレーが流れを呼び、8回まで2失点でしのいでいたエースに白星がついた。ドラフト1位ルーキーが活躍しヒーローインタビューを受けた。マリーンズとしてこれ以上ない最高のシチュエーション。あの夜、岡田は心から喜んでいた。

「守備は事前の心構えが大事です。この場面、どのような打球が飛んでくる可能性があるかな。ライナーの時はこうしよう。大きく舞い上がった時はああしよう。フラフラと打球が上がった時はどのように前に突っ込もうかと。いつもいろいろなシチュエーションを想定すれば、いざボールが飛んできた時に冷静に対処できるんです。守備は奥が深いですよ。これからは若い選手たちに色々と教えていきたい」

 背番号「66」は2018年シーズン限りでユニホームを脱いだ。会見では「思い描いている自分のプレーができなくなっていた」と理由を挙げ、最後は大粒の涙をこぼした。来年からは千葉ロッテに籍を置きながら、ルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスの派遣コーチとして若い選手たちを指導する。コーチ修業。指導者教育の一環だ。故郷・栃木で第2の野球人生をスタートさせる岡田。「残念、そこには岡田コーチの教え子たちが守っている」。「残岡」伝説の第2章が幕を開ける。(マリーンズ球団広報 梶原紀章)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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