テンプテーションズのオリジナルメンバー、偉大なるエディ・ケンドリックスを偲んで

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彼のその名前は、声ほど広く知れ渡っていないかもしれないが、エディ・ケンドリックスはユニークで明確なソウルフルさを持ったヴォーカリストだった。テンプテーションズのオリジナル・メンバーとして、彼らがソウルの皇帝というあだ名を博す所以となったその数々の名曲と、しなやかなファルセットは、自身のヒット曲でも注目されることとなった。エディ・ケンドリックスは1939年12月にアラバマ州ユニオン・スプリングスで生まれ、悲劇的にも癌に蝕まれ、52歳という若い年齢でこの世を去った。

テンプテーションズがモータウンで台頭していった黄金時代、エディ・ケンドリックスの軽快でアクロバティックな声は、グループのもう1人のリード・シンガーで同じく卓越したデヴィッド・ラフィンの肝の据わった声を完璧に包み込んでいた。エディ・ケンドリックスは、1962年のグループの初のチャート・シングル「Dream Come True」、そしてその直後に達成した初のR&Bチャート1位の「The Way You Do The Things You Do」でリードを歌うほど優れていた。レコーディング同様、実物もスタイリッシュだったエディ・ケンドリックスは、グループをさらに華やかにさせた衣装の数々をも采配していた。

1971年の脱退前に、エディ・ケンドリックスは「Get Ready」やシュープリームスとのコラボレーション「I’m Gonna Make You Love Me(邦題:君に愛されたい)」など、グループのハイライトのひとつとなった楽曲でリードを取った。また、60年代後半に新鮮なサウンドを築いたマルチ・ヴォーカルのノーマン・ホイットフィールドの制作でも、特に「Ball Of Confusion」のタイトル・ラインなど、要となる役割を果たした。

グループ内の緊張が増したことによってエディ・ケンドリックスは脱退したわけだが、メロディックで夢のような語りが特徴的だった彼は1971年の全米ポップとR&Bチャートともに1位を獲得した「Just My Imagination (Running Away With Me)」でその魅力を見せつけた。ソロ・キャリアの初めは控えめなチャート・エントリーが続いたが、1973年の「Keep On Truckin’」と「Boogie Down」では、ワン・ツー・パンチで1位を獲得し、これらの作品を含め、9枚連続でR&Bトップ10を達成し、そのうち「Shoeshine Boy」もベストセラーを達成した。

後半になると成功は減り、1978年にはモータウンを去ったが、1982年にデヴィッド・ラフィンとともにツアーとアルバム『Reunion』を行うために一時戻った。のちのタムラのスターとなるリック・ジェームスをプロデューサーに起用したエディ・ケンドリックス、デヴィッド・ラフィン、そして彼らの後継者の1人となるデニス・エドワーズとの爽快なヒット「Standing On The Top」も収録されていた。

さらに80年代は、エディ・ケンドリックスとデヴィッド・ラフィンと彼らを敬愛するダリル・ホール&ジョン・オーツの共演をもたらし、1985年のアルバム『Live At The Apollo』で共演。テンプテーションズがロックの殿堂入りを果たす前年の1988年に、エディとデヴィッドはRCAでLPを一緒に制作した。肺がんと診断されたエディ・ケンドリックスは1年以上病と闘い続けたが、1992年秋に亡くなった。しかし、輝かしいソウル・ミュージックの時代における彼の功績は決して忘れられることはない。

「歌手というのは、自分自身をプロデュースしない限り、プロデューサーが望むことを表現するしかない」とエディ・ケンドリックは1973年にディスクとのインタヴューで語った。「つまり、時には本来の自分とはかけ離れていることをやっていることもあるということだ。それでも、自分の声がはっきりしていれば、それは関係ないと思うんだ。大事なのは、いつでも自分のアイデンティティを保つということだ」。

Written by Paul Sexton