異例の対応 「結婚の条件」に無批判だったメディア

不可視の天皇制(4)

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佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

 本州の北辺・下北半島で育ちました。子どもや若者のこと、生きもの(動物園・水族館)について長く取材してきました。なので、軽視されたり無視されたりしがちな存在、人権のないものへの共感も少しはあります。 

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婚約内定時の記者会見

 再び、共同通信の配信記事を掲げる。大嘗祭発言よりも世間の耳目を集めたのは、こちらの方だったかもしれない。

 ―秋篠宮さまは記者会見で、結婚を延期している長女眞子さま(27)と小室圭さん(27)の今後について、厳しい見解を述べられた。週刊誌で報じられた小室さんの母親の金銭トラブルを念頭に「今でも2人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、それ相応の対応をするべきだ」と述べ、小室さん側に対し、公に説明するよう求めた―

 発言内容を「異例」と報じたメディアも多かったが、内容よりもメディアの対応こそが異例だった。(47NEWS編集部、佐々木央)

 一般の新聞は政治、経済、事件事故、芸能や文化といった公共の事象を広く扱う。その中では、個人の結婚に関わる情報は相対的に価値が低い。なぜか。

 結婚は本来、私的領域に属する。誰と結婚しようが、するまいが、それは本人の社会的達成とは関係がない。いちいち「内助の功」を持ち出すのは、ノーベル賞のときぐらいだろう(それにも疑問があるが)。特定の分野を対象とする専門誌を除けば、マスメディアは本来、個人についても公共ゾーンにある情報を扱い、プライバシーには容喙(ようかい)しない

 例外的にそれがニュースとなるのは、知名度の高い芸能人や人気のあるスポーツ選手などに限られる。「その人物に対する注目度が高く、世間の関心が私的領域にまで及ぶような場合」と説明できるだろう。その場合でも、相手が著名人や公的な人物でないなら、氏名や写真なしで「相手は一般女性」などと表現される。途中経過ともいうべき、交際や婚約といった段階は報じないのがふつうだ。

 ところが今回、婚約もしていない男女の結婚問題を取り上げ、その片方の親の意向だけでニュースとなった。相手は「一般男性」だが、その人と家族が名指しで、結婚に向けた「それ相応の対応」を求められたのだ。

 この特別な事態が、報じる側にも受け手にも違和感なしに受け入れられたとすれば、戦後の天皇制はそのいびつさに気づかれぬほど、人々の内面に浸透したのかもしれない。

 冒頭の記事は次のように続く。 

 ―秋篠宮さまは小室さん側が「問題をクリアにする」ことが必要だと指摘。「多くの人がそのことを納得し、喜んでくれる状況にならなければ、私たちは婚約に当たる『納采の儀』を行うことはできません」と断言した―

 法に戻って考えたい。憲法24条1項は結婚についてこう定める。

 「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」

 結婚が「両性」の合意のみに基づくというのは、もう古いだろう。異性婚ではない結婚が認められつつある。それゆえ、この条項の今日的な意味は、2人の当事者の合意こそが結婚の必要十分条件だという点にある。2人の合意以外、誰かの同意も許可も、もちろん周囲の祝福もいらない。また、錯誤や強制に基づいていたり、何かの取引や見返りによってなされたりしてはならない(余談だが学生時代、親族法の教授が「何年かたって見間違いだったと錯誤無効を主張しても認められないよ」とジョークを言い、かなり受けた)。

 そうだとすれば、娘との結婚を望む人に親が何らかの行動を求めたり、婚約の条件として「多くの人が納得し、喜んでくれる状況」を設定したりすることは、憲法に反している。

 既に見たように、天皇・皇族は表現の自由を制限されている。ここに来てあらわになっているのはさらに、結婚の自由もないということだ。

 結婚については皇室典範10条が「皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する」と規定するが、皇族女子には言及していない。とすれば法的にも、憲法24条の原則に立ち返るべきではないか。

 親が子どもの結婚にハードルを設ける。家庭内ではよくあることかもしれない。それは親子の間にあつれきを生むもしれない。それでもあなたの結婚は、あなたの自由なのだ。

 だが、日本の象徴たる人の一族によるそのような言動を、私たちが違和感なく受け入れるとすれば、彼らに象徴された私たち日本国民もまた、結婚は二人の合意だけで成立するものではない(そんなに甘いものではない)と認めることにつながっていきはしないか。

 皇族の結婚について、両性の合意以外の条件が加わろうとするなら、メディアはそのときこそ私事の領域としてスルーするか、あるいは条件が付加されることの正当性いかんにまで、考察を進めるべきであった。

 そうならなかった責任の多くはメディアに帰される。しかし、究極の理由は憲法1条にこそあると、私は思う。=この項続く

不可視の天皇制(8)脱出の自由

不可視の天皇制(7)血のカリスマ

不可視の天皇制(6)憲法1条の不思議

不可視の天皇制(5)誕生日の処刑

不可視の天皇制(4)結婚の条件

不可視の天皇制(3)沈黙の強制

不可視の天皇制(2)お言葉の政治性

不可視の天皇制(1)皇室報道の倒錯