「自衛官の命は大丈夫か!」 久々の石原慎太郎節 防衛大綱閣議決定の日

石原慎太郎氏=2014年8月撮影、右は2018年12月18日、日本外国特派員協会で会見する石原氏

 作家で元都知事の石原慎太郎氏が12月18日、都内の日本外国特派員協会で会見、10月にフィリピンで行われた日米比の共同訓練に参加した陸上自衛隊の隊員が現地ドライバー運転の車で交通事故に遭って亡くなったことを取り上げた。「(隊員は現地の病院で)4日間生きていた、なぜ自衛隊の専用機で帰国させなかったのか」「医官もいなかった。隊員の命が軽視されている」と述べ、派遣隊員の医療体制に不備があると訴えた。その背景は行政や官僚組織が硬直しているためだとも指摘した。「空母」導入に踏み切った防衛大綱が閣議決定された同日の会見。冒頭に「国家としての恥」と語った石原氏は、自衛官の地位の在り方をテーマに「隊員の死」について持論を展開したかったように見えた。

(共同通信=柴田友明)

 初の事故死

 陸自によると、事故は今年10月2日に起きた。海外での訓練に参加していた陸自隊員が事故で死亡するのは初めてという。亡くなったのは離島防衛で注目される「水陸機動団」(長崎県佐世保市)の2等陸曹。フィリピンの海軍基地近くで現地の男性が運転する車がカーブに差し掛かったところで大型車両と衝突した。当時はスコールのため、前が見えにくい状況だった。2曹は頭部に大けがをして民間病院に搬送され、集中治療室(ICU)で手当を受けたが4日後に死去。同乗したほかの隊員1人も骨を折るなど負傷した。

 石原氏の指摘について、陸自の広報担当者は「医官がいなかったのは事実だが、訓練の内容次第によって(医官の付き添いが)決まる。今回は災害対処の訓練で医療支援の訓練ではなかった。米海兵隊の医官も協力、ICUに入っていることも判断して陸自総隊とも連絡をして24時間体制で、できうる限りの手を得尽くした」とコメントしている。公務中に亡くなった隊員は1階級特別昇任(1等陸曹)している。

 緊急提言

 一方、石原氏の会見には、災害や自衛隊医療の内部に詳しい医師の佐々木勝氏も一緒に出席。専門家としての見地から、臨床経験が不足している自衛隊医療は極めて「脆弱」と言及。諸外国の部隊と比べても危機的といい、防衛省幹部にもこれまで働きかけをしたが「改革には時間がかかる」として対応してくれなかったと語った。今回の事故死をきっかけに緊急提言のため会見に石原氏とともに出たと述べた。

 石原氏も「自民党は部会でも取り上げていない」「自衛隊の衛生兵(衛生部隊の隊員)は(負傷したときに痛みを緩和するための)モルヒネさえも携帯していない」などと、組織としての取り組みがなされていないと意見を述べ続けた。

 ベストセラーの後で

 今年86歳になった石原氏は2016年、田中角栄元首相の生涯を描いた小説「天才」がベストセラーとなり、〝角栄本〟ブームの中心となり作家として久しぶりに脚光を浴びた。17年は築地市場から豊洲市場への移転を巡り都知事在職中の判断について小池百合子知事から批判され、石原氏は都の百条委員会で証言するなど一転守勢に立たされた。

 昨年末近くに、筆者は石原氏に過去の作品をテーマにインタビューした際に次のようなやりとりをした。

 ―(近作で)自身が己の「死」を強く意識する年齢に至った書き、自分の「死に際」について描いてみたいとも語っている。その心境はどのようなものでしょうか。

 「自分の死にざまを想像する。死んでしまったら書けるわけがないのだけれど、自分が死ぬことを見守りながら(自身でそれを)書きたいと思う」。石原氏は年齢を重ねて、人間の最後の未知について書くという作家としての願望を率直に語っている。

 作家であると同時に、国会議員、都知事として政治の世界に身を置いた石原氏としては、今年10月の陸自隊員の「事故死」は自身として強く発信したい何かを感じたのではないだろうか…

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