豊作だった今年の文学 文芸記者座談会

「ある男」(文藝春秋)

 政治に事件にさまざまなニュースが飛び交った2018年。小説の世界でも、世間を騒がせる話題や、作家らの意欲的な試みが見られた。共同通信文化部の文芸担当記者2人が、今年印象に残った出来事と小説について、自由に語り合った。

▽当事者

瀬木広哉(以下、瀬木) 今年刊行された小説を振り返って、印象はどうですか?

森原龍介(以下、森原) 大きなベストセラーとしては、若竹千佐子さんの芥川賞受賞作「おらおらでひとりいぐも」がありました。特に後半には、すごくいい作品がいくつも出て、全体としては豊作だったという印象ですね。例えば、平野啓一郎さんの「ある男」。今年はこの作品が大きかったと思う。ヘイトスピーチが激しさを増す東日本大震災以降の日本において、小説がどういう役割を果たすのかを考えながら、ミステリー仕立てにしていて、読者を選ばない、開かれた作品になっている。テーマの現代性からいっても、面白さからいっても、今年を代表する1冊だと思います。

瀬木 よく言われる「小説が読まれなくなってきた」という状況は、特に純文学において進んでいるという印象は持たざるを得ませんでした。そういう中で、良識のある作家が腹をくくって自分のやり方をとことん追究していく姿勢を鮮明にし出している印象を受けます。以前から、文学もただ悩みを突きつけるだけではなくて、ソリューションを提示していかなくてはいけないという意識を持っていた平野さんが、そういう作品を書いたことにも現れていますよね。一方で、今年は悪いニュースも多く、文芸業界をなんとかしないといけないという思いが少し空回りしたのも一因だった気がしました。特に目立ったのは、北条裕子さんの群像新人文学賞受賞作「美しい顔」問題。言い分はそれぞれあると思いますが、配慮を欠いた部分があったとは言わざるを得ないでしょうね。

森原 そうですね。「美しい顔」という小説は、津波で母親を失った少女の内面を描いていますが、実際には、被災地の外でテレビ越しに眺めている人のやましさを投影していました。あの騒動は、非常に重いテーマを投げ掛けたと感じています。一つには、東日本大震災という巨大な経験を言語化することの難しさ。もう一つは、非当事者である人々が、想像すらできない当事者の経験や思いにどうすれば寄り添えるのか、あるいは、それは不可能なのかという問いだったと思います。

瀬木 著者は、被災地を一度も訪れていないと話していましたよね。

森原 被災地の内面語りを都合の良いように利用した、と受け取られても仕方がない側面があったと思います。ただ、今回はそれ以前の問題として、経験していない人間が当事者の内面を描くのはけしからんというムードもあったように思います。文学は本来的には、経験していない出来事に読者が共感する装置でもあるはずで、その機能や役割はどこか置き去りにされてしまったような印象も受けました。

瀬木 僕が感じたのは、文学がどこまで現実の社会や政治にコミットしていくのかということを、意外と突き詰めて考えてきていなかったということでした。小説を読んで衝撃を受けたり、揺さぶられたりするのは、一方に社会的な良識とか規範みたいなものを持っているからですよね。それがなければ、小説はおそらく文字の羅列でしかなくなると思います。そういう意味では、相模原の事件を題材にした辺見庸さんの「月」や星野智幸さんの谷崎潤一郎賞受賞作「焔」といった、文学と社会、文学と政治という問題意識を強く打ち出した作品が今年出てきたのも、必然的な流れだったかもしれません。

▽暴力

森原 その流れで言うと、姫野カオルコさんの「彼女は頭が悪いから」も、今年の重要な作品の一つでしょうね。東京大学の学生が加担した性暴力事件を題材にして、彼らが無自覚に権力をまとい、立場の弱い女性を無造作に襲う様子を、何人もの視点を借りて描いた作品です。姫野さんは告発調ではないかたちで冷徹に描き出したのは、男性が権力を無自覚に身体化している構造でした。今、多くの女性作家がこうした男女の非対称性に目を向けていると思います。

瀬木 島本理生さんの直木賞受賞作「ファーストラヴ」も性暴力を題材にしていましたね。あと、思い出したのは、今年読んだ中でとても良かった海外の2作品です。オーストラリアの作家リチャード・フラナガンさんの、旧日本軍が捕虜に過酷な労働を課した泰緬鉄道建設を描いた「奥のほそ道」。もう一つが台湾の客家の作家甘耀明が、レイプ被害に遭った女性と不思議なおばあさんたちとの道行きを描いた「冬将軍が来た夏」。残酷な運命を描きながら、暴力に晒された側にも生命力を見いだしています。他者から受ける暴力と同時に、自分の内にある暴力も見つめ、暴力の問題を普遍化していく姿勢には、ハッとさせられるものがありました。

森原 では、もう少し個別の作品も見ていきましょうか。

瀬木 そうですね。新人作家、中堅作家で特に印象に残っている作品はありますか?

森原 一番興奮したのは、真藤順丈さんの山田風太郎賞受賞作「宝島」ですね。戦後沖縄で米軍に抗った人々を描く痛快な小説で、沖縄の歴史の複雑さを引き受けようとする野心作でした。もう1冊挙げるなら、深緑野分さんの「ベルリンは晴れているか」。戦後直後の混乱するベルリンを舞台にしたミステリーですが、物語が進む中で、ナチスドイツを支えた市民の戦争責任が明らかになっていく。こちらも野心作です。

瀬木 それを聞くと、政治と文学というのが今年のテーマだったと、改めて感じますね。一方で、一部の小説家たちがずっと書いてきた、小説とは何か、書くとは何か、読むとは何か、といったメタレベルの問いを追究した秀作も多かったように思います。顕著なところでは今年野間文芸新人賞を受賞した金子薫さんの「双子は驢馬に跨がって」と乗代雄介さん「本物の読書家」。直線的に続いていく物語とは全く違った、言葉そのものの謎を作者と共に探っているような気持ちになります。エンタメ系では久保寺健彦さんの「青少年のための小説入門」も意欲的な作品でした。いじめられっ子の中学生と年上の識字障害のあるヤンキーが小説を書くという物語を通して、物語とは何かを浮かび上がらせました。

森原 森見登美彦さんの「熱帯」も同様のテーマを扱っていますね。千夜一夜物語を下敷きにした少し変わった小説です。「熱帯」という不思議な本に登場人物たちがどっぷりとつかる様子が描かれていて、物語の内と外の境目がなくなるような不思議な感触がありました。

 ▽文学と政治

瀬木 ベテラン作家だと、ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんの全集の刊行が始まりましたね。単行本化されず、読むことが難しかった初期の問題作「政治少年死す」も収録され話題になりました。たまたま代表作「万延元年のフットボール」を読み返す機会があったのですが、社会の暴力や自分の内なる暴力ととことん向き合う気迫に圧倒されました。考えてみれば、大江さんこそ、政治と文学という問題を体現してきた作家ですね。あと、話題をさらったのはラジオに出演したり、母校の早稲田大で37年ぶりの記者会見を開いたりした村上春樹さんですよね。

森原 あの会見は衝撃的でしたね。取材できる機会もごく稀で、写真撮影の機会もほとんどなかった村上さんが、カメラマンに目線を送り、ポーズまで取る。すごくリラックスしたムードで、雄弁でした。心に強く残ったのは、村上さんが自分には子どもがいないことを強調して、自分の持っているものを誰かに残したいと発言したことです。来年作家生活40年を迎える村上さんが、次の世代に何を引き継ぐかを考えていることの意味は、大きいですね。

瀬木 そろそろ村上さんに続く世界的な人気作家が出てきてほしいですよね。そういう点では、村田沙耶香さんの芥川賞受賞作「コンビニ人間」の英訳版が今年、英語圏で高い評価を得たのはいいニュースでしたし、多和田葉子さんの「献灯使」が権威ある全米図書賞に輝いたのは快挙と言っていい出来事でした。

森原 日本の作家の活躍も目立ちましたが、海外の作家の日本での紹介のされ方にも変化を感じた1年でした。これまでのように欧米の作家に偏るのではなく、アジアの現代作家の日本語訳も増えてきています。特に韓国文学は、斎藤真理子さんら翻訳家の活躍もあって、勢いを感じますよね。列挙すると、パク・ミンギュ、ハン・ガン、ファン・ジョンウン。特に本国でベストセラーになったチョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジヨン」は、男性優位社会に苦しむどこにでもいるような女性の姿が、日本でも共感を呼ぶと思います。

瀬木 まだまだ紹介しきれない作品は山ほどありますね。年明けには芥川賞、直木賞の発表があるので、そこでまた次代を担うスター作家が生まれるかもしれません。文学は決して派手な世界ではありませんが、時代を象徴する役割は依然失っていないと思います。来年は平成の文学を総括する仕事と同時に、新しい時代の文学のあり方を探る動きも出てくるのではないでしょうか。

森原 決して明るいとは言えなかった平成の30年が終わりに差し掛かる今、やっぱり政治と文学というテーマが重要かもしれませんね。時代の節目を文学がどう活写していくのか、注目したいです。

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