【IWC脱退後】どうなる日本の「クジラ食」

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調査捕鯨で北海道・釧路港に水揚げされたミンククジラ=2017年9月、右はIWCを巡る経過
1952年の給食。クジラ肉(右)は定番の献立でした(学校給食歴史館提供)

 1950年代から70年代前半の間、小学生だった世代にとってクジラのベーコンや竜田揚げは学校給食の定番だった。割安な食材、児童のタンパク源として当時は親しまれてきた。給食関連の資料では魚肉ソーセージやマーガリンにも使われたとあり、「国民総鯨食時代」だったと紹介されている。

 1982年に国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨の一時中止を採択、87年に調査捕鯨を始めるまでに給食どころか食卓で見る機会はめっきり減った。筆者が学生バイトとして働いていた日本料理の店主が「きょうは珍しくお肉が入ったから」とクジラ鍋をふるまってくれたのは約30年前。すでに懐かしい味になっていた。それでも日本の食文化だと思ってきたが、今や鯨肉消費は低迷、消費者の関心はそれほど高くない。国内消費は1962年は約23万トンあったが、最近は年約5千トンと低水準で推移。「高級食材」「珍味」の部類に入れる場合もある。

給食でクジラの竜田揚げを試食する小学生たち=2006年、神奈川県の小学校

 それでも10数年前から、学校給食の場で特に和歌山県や山口県など捕鯨基地ゆかりの土地などでは鯨肉の学校給食が徐々に復活、全国に少しずつ浸透しつつあるようだ。10年近く前の取材調査データで恐縮だが、給食を出している全国の公立小中学校約2万9600校のうち、1年間で一度でも鯨肉を給食として出した学校は18%、5355校(2010年9月5日の共同通信記事)に上っている。献立はやはり竜田揚げが多いが、オーロラソースあえなど新メニューもあるという。

 商業捕鯨の復活までさまざまなハードルがあるが、食文化として再び普通に食卓に登場する可能性、その素地はあるかもしれない。反捕鯨国にとっては、海洋資源あるいは希少動物としてのクジラの捕獲は受け入れがたいかもしれないが、失いつつあった食文化の再生について考えるいい機会になるかもしれない。まずはこの数十年の捕鯨にかかわる歴史について写真を通して考えていきたい。(まとめ 共同通信=柴田友明) 

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クジラ保護推進のための宣言を採択した国際捕鯨委員会(IWC)総会=2018年9月13日、ブラジル・フロリアノポリス(共同)

【国際捕鯨委員会(IWC)】 クジラ資源の保存と捕鯨産業の秩序ある発展を目的に国際捕鯨取締条約に基づき1948年に設立された国際機関。日本は51年に加盟した。当初は捕鯨国でつくる資源管理機関だったが、反捕鯨国が増えて82年に商業捕鯨の一時停止が採択された。水産庁によると8月時点で加盟国のうち捕鯨支持国は日本やノルウェーなど41カ国、反捕鯨国がオーストラリアやブラジルなど48カ国。捕鯨支持国との反捕鯨国が激しく対立している。 

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南極海でクジラを捕獲する日本の捕鯨船=1987年2月(共同) 右は調査捕鯨で北海道・釧路港に水揚げされたミンククジラ=2017年9月

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2016年10月24日、スロベニア南部ポルトロジュで開幕したIWC総会の会場付近で、横断幕を掲げ抗議する反捕鯨団体「シー・シェパード」のメンバーとみられる男性ら(共同)

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IWC年次総会の会場外でデモをする反捕鯨団体=2011年7月11日、英領チャネル諸島ジャージー島(共同)

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2003年6月16日、ベルリンで開かれた国際捕鯨委員会(IWC)総会で、主催国ドイツのキュナスト消費者保護・食糧・農業相(右)と議論する当時の浅野史郎・宮城県知事(AP=共同)

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「捕鯨再開」を訴え山口県下関市内をデモ行進する捕鯨推進派の人たち=2002年5月20日

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南極海での日本船の捕鯨風景=1987年2月(共同)

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捕鯨母船の船尾に集められたシロナガスクジラ=1950年ごろ、南極海の捕鯨資料写真