(3)吉田眞理子さん死去 新体操の普及に功績

 4月、本県新体操界が悲しみに包まれた。活水高新体操部、活水ジュニア新体操クラブの創設者で、活水女大健康生活学部特別専任教授の吉田眞理子さんが死去。厳しくも温かい指導で「眞理子先生」と慕われた活水新体操の“母”は、62年の生涯で本県スポーツ界に多くの「財産」を残した。

 1956年、長崎市生まれ。活水高、県立女短大(現・県立大)から新体操で国内トップレベルの東女体大に編入した。卒業後に保健体育教諭として活水中、高に赴任。81年に新体操部(2年間は同好会)を立ち上げた。

 新体操部の第1期卒業生で同窓会会長の嵩妙子さんは、創部当初を「初心者の集まりだった」と振り返る。当時、長崎で競技人口も少なく、知名度も低かった新体操。手具操作に苦戦する部員らに「私をまねしてみて」と自ら前に立って何度も手本を見せた。生徒とともに汗を流す懸命な指導は徐々に実り、県内で独壇場を築いていた鶴鳴高(現長崎女高)と肩を並べるまでに成長。のちに県高総体14回優勝の強豪校に育て上げた。

 指導の根底にあったのは「感謝を形にする」。大会では演技後、必ず生徒とともに観客に感謝を伝え、後日、手書きのお礼状を送った。その習慣は今も部に残っている。

 2003年の長崎ゆめ総体(インターハイ)では団体で3位入賞。団体でのメダル獲得は、県勢初の快挙だった。地元の大声援の中、選手たちが繰り広げた演技は「感謝を形にする」教えの結晶だった。

 15年からは活水女大でも指導。約40年間の教員生活で「最大の財産はOGたち」と誇りにしていた。活水高新体操部の向井杏奈監督をはじめ、OGらはジュニアクラブの指導などに積極的に参加。恩師の思いを引き継ぎ、新体操の普及、発展を支えている。

 自宅の仏壇の周りにはOGらが持ち寄った造花が飾られている。生前、誰かに感謝を伝える際「残る方がいいでしょう」と、生花ではなく造花を好んで贈っていた。OGらの感謝の心を形にした花が、恩師の遺影を囲んでいる。その花のように「眞理子先生」が残した功績はいつまでも色あせない。

活水女大のメンバーに指導をする吉田さん=2015年10月、長崎市、活水女大体育館

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