受け継ぐ先駆者の技術 ロサンゼルスで暮らす人々-vol.774

By Yukiko Sumi

ガイ・オカザキ |Guy Okazaki

 「サーフボード業界はここベニスから始まったんだ」。ガイ・オカザキさんの仕事場は、ベニスビーチから数ブロックの静かな住宅街にある。サーフボードを作る。それがオカザキさんの仕事だ。生まれ育ったのはハワイ。サーフィン好きの父に影響を受け、物心ついたときには波に乗っていた。「ずっと、楽しむためと競技会に出るためだけにやっていた」。競技会に出るためには新しいボードが必要だが、当時のハワイにはサーフボードを買える場所がなく「手に入れるためには作るしかなかった。父も自分で作っていたし」。これがサーフボード・シェイパーへの第一歩だった。

サーフボード・シェイパーのガイ・オカザキさんは、サーフィン好きの父の影響で物心ついたときには波に乗っていたという。ウェブサイトはhttp://www.guyokazaki.com/

 本格的に学んだのは、家族でベニスへ引っ越してからのことだ。「ハロルド・イッギー、タク・カワハラが主に教えてくれた。そしてアーニー・タナカ、ウェイン・ミヤタ。彼らなしには今日の僕は存在し得ない。サーフィン・コミュニティの中でもほとんど語られていないが、サーフボード業界のパイオニアは、ハワイのカパフルからベニスへやって来た日系米国人たちだったんだ」。

 教えてほしいと口に出して言ったことはなかったが、10歳ほど上のお兄さんたちは作業場にやってくる少年に優しかった。「14歳のときから見て学んで、そのうち色々な作業を見せてもらえるようになり、16歳のときに道具を使わせてもらえるようになった」。

 ビジネスにしようと思ったことはない。初めて人のためにサーフボードを作ったのは70年代のこと。自分用に作ったボードを友人が借りていき、「最初の5枚は友だちが〝借りた〟まま返ってこなかった(笑)」。自分用にもう1枚。友人に頼まれてさらに1枚。気づけば毎週10枚ほど作っていた。友人たちがそれを買うようになり、いつのまにかビジネスがスタートしていた。

サーフボード業界のパイオニアである日系米国人の先輩たちから受け継いだ技術で“Dying Art”のサーフボード作りを守る

 シンプルな製品でありながら、製作段階では複雑で繊細な指先の感覚が必要とされるサーフボード。「機械には作れないよ。各ステップがとても決定的な作業になるから人の手でやらないと」と、手作業にこだわる。たった一つのミスがすべてのプロセスを無にしてしまうことも。オカザキさんも「たくさんミスを重ねてきた」という。「まだたまにはミスするよ。まあ、人間だからね(笑)。それが学ぶ方法でもあるし、トライするだけ」。自分がかつでそうであったように、若い世代に教えたこともあった。しかし後を継ぐ者は現れていない。「サーフボードは“Dying Art”、死にゆく芸術なのかもしれない。僕らはたぶん、一つ一つ手作業をする最後の世代だろう」。サーフボード作りはビジネスだがアートでもある。そんな哲学を貫く職人だ。

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