知里真志保【29】

登別編

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アイヌ語研究の基礎築く

小学校の入り口付近に設置されている碑

 登別本町の登別小学校前に「銀のしずく 降れ降れ まわりに」と彫り込まれた石碑がある。登別が生んだ天才言語学者、知里真志保(1909~61年)をしのんだ碑だ。真志保の研究仲間で北海道曹達の初代社長・山田秀三氏の碑文があり、真志保の高校の同窓生たちがお金を出し合って建てたという。来年生誕110年を迎える。

 姉は「アイヌ神謡集」の幸恵。兄の高央も教師だった。真志保はアイヌ民族の視点からアイヌ語を理論的に研究し、「分類アイヌ語辞典」「地名アイヌ語小辞典」などの著作を発表し、アイヌ語研究の基礎を築いた。室蘭中学(現室蘭栄高校)時代から成績優秀で幌別村役場に就職し、後に退職。言語学者、金田一京助氏の助けを受け上京。第一高等学校に進み、1933年(昭和8年)東京帝国大学文学部英文学科へ進学。在学中から精力的に執筆活動を行い、卒業論文は金田一氏との共著という形で「アイヌ語法概説」として出版されている。

 その後大学院に進むが、樺太(サハリン)に渡るため退学。高等女学校の教師や博物館の研究員となり樺太アイヌの研究を進め、数々の論文を発表した。

 帰郷後は北海道帝国大学(現北海道大学)北方文化研究室に勤務。前述の「分類アイヌ語辞典」などの編さんに励み、54年に北大から文学博士の学位を授与された。35年に発症以降、終生心臓の病に苦しみ、61年に他界。真志保は生前何度も遺書を記し、妻の美枝氏がその都度冗談として捨てていたが、残された遺書には「葬式はできるだけ簡素に」「通夜はせいぜい30分ぐらいの時間で切り上げること」「死体は焼き場で骨にした上庭の隅の適宜な地点に埋めること」「墓石などは無用」などと書かれていたという。
(北川誠)

(2018年12月25日掲載)